同級生の親の多くや、学生時代に師事した教師の多くが「学生運動世代」だからでしょうか。
自分の思想には平等に対する強い意識が刷り込まれている様です。
共産主義幻想が崩れて20年。
しかし、社会民主主義政策を採る「重税・高福祉」な国は北欧等に存在しますし、産油国の一部もまあ結果的に幸せそうだったりします。
日本も一昔前迄は「世界で最も成功している共産国」だの、「会社主義国」だの言われた「一億総中流」な国でした。
グローバル化の名の下に、規制緩和を推し進め、成果主義・競争原理を前面に推し出した結果が今の世の中です。
いたずらに懐古主義で言ってたのでは無意味ですが、「やり過ぎはいけない」と、昔に戻す部分もあって然るべきではないかと。
明治維新で、ちょんまげや刀は姿を消し、四民平等の世の中に変わったのは、現代人の感覚では良い変化。
廃城令とか廃仏毀釈はやり過ぎた例ですよね。
経済原理だ、優勝劣敗だって世の価値観の移行は避けられぬにせよ、守るべきものは守らなくては世の中かえって悪くなる。
国鉄がJRになって、成る程、割高感も薄れ、何より職員の態度は良くなりましたが、地方路線は廃線をはじめますます悪くなったとか。
同じ道を郵政が辿るんじゃないかとか。
地方交付金の在り方は確かに問題なのです、陳情政治・国が権益を握り過ぎているという面で。
しかし、税源委譲となると、地方財政難は目に見えています。
地域性・特色を活かした発展の仕方がある筈だってのは聞こえも良いし、真理の一面でもあるでしょうが、予算があるに越した事はないです。
そもそも現在の都市部の繁栄は、維新当時や戦後復興時に、優先的に予算を投下されたからこそ、ってのを都会の住人は忘れてはいないでしょうか。
地方空港とか、どう見ても無駄な行政は確かに在った訳ですが、全国均一なサービスを受けられるって理念だけは間違っていない、要は程度問題だって事です。
みんなが勝ち組、格差ってなあに?って社会の在り方を目指しても良いのではないかと。
こんな事をここで取り上げたきっかけは、まあレンストの最近の流れが見事に縮図だからなんですけどね。
プロモのみで、販売されないカードがバンバン出て。
この前数えたら、47都道府県中7県は、公認大会が行われていないんですが。
広い県、交通網が整備されていない県では、たとえ開催が1箇所あったところで僻地からの参加は大変ですし。
そうでなくとも資産格差が存在するのがTCG。
いたずらに格差を拡げるべきではないと、旧スタッフはプロモは「イラスト違い」に留めていた訳ですが、XG化以来、参加意欲を煽る為のツールと化したようです。
参加できる人、参加できずともネット等で入手できる人は良いのですが、どちらも出来ない人は切り捨てられている訳です。
自分はそれを改悪と捉えているのですが、当然と考えている方も少なからずいる様です。
版元…バンダイ関係者が言うのなら、これも商売ですから色々事情もあるのでしょうが、ユーザー側から当然の声があるのは、人それぞれとはいえ
「寒い時代だと思わんか」
と、ぼやきたくなります。
自分が恵まれているって自覚が無いのか、諦めきっているのか、それとも世の風潮…競争社会の必然と考えているのか。
まあ会社側に対しても自分は意見しますけどね。
現場にいない気楽さで。
費用対効果とか、過去の販売実績とか色々な数字からの結論→路線変更なんでしょうけど。
短期的に利益率が上がったにせよ(変化がないなら尚問題)、長期的には潜在顧客を失って商機を減少させているのではないですか?
って。
「全国何処でも」
ってのもサービスの質の内ですよ。
世の中が大きく変わったにも関わらず、除夜の鐘を聴いて初詣に向かい、政治との距離感がどうあれこの国は皇室を抱え続けている様に。
自分は万人平等の理念の下、今のプロモの在り方には批判を続けます。
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テーマ:日々 | 投稿日時:2010/06/08 14:00 | |
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