いや、オッサンが言っても全然可愛くないし(爆)。
卵と鶏じゃないですが、心も体も不健康なムノーです。
敵意とか嫌悪感とか、ネガティブな方面に思考が進む進む、そんな不健全な休日を送っています。
遊ぶ体力がない休日なので、主にネットやっては寝ての繰り返しなのですが、帰って腹立ててたり。
しばしば「だからゆとりは」等と思うのは、失った若さに嫉妬してるんですかねぇ(笑)。今時の若者はなんてすっかり年寄気分。
不健全なりに、思考を進めたところ、ネガティブなりになんか深い事に至った気もします。
以下はお暇な方だけどうぞ。
実際、ジェネレーションギャップってのはあると思うのです。
思うに、大人になる、或いは老いるという事の一面は、精神的に汚れる事だと言えないかと。
汚れ=諦めでしょうか。
で、世代によって汚れる場所が違うんじゃないかと。
自分の世代は、より上の世代と違い、物質的には豊かな、と言うか余り気味な環境で育ちました。
しかし、世代人口は多い、総人口も増え続ける、そして物余りと、空間的には閉塞感だらけでした。
雑木林や空き地が開発の名の元に消え、路地裏も裏道と言って交通量が増え、受験に終われ。
今の子達は違います。
人口は緩やかに減少が見込まれ、少子化で学校は(自分たちからみたら)廃墟に近いサビレ方。
不景気故にの物余りなので、昔程の溢れ方じゃないし、開発の類いも大人しく、自然保護の動きも大きくなりました。
大げさでなく2倍は恵まれてます。教育(学習内容)以上に空間がゆとりです。
代わりに情報が溢れました。
そして、長く続く不況で、好況の実感もないでしょう。
競争に追われてギスギスする内に大人になった自分たちと、停滞した中希望を持てずに大人になりつつある若者とでは、純粋な部分、汚れた部分が異なって当然だよなあと。
この年齢になった自分が未だに苦手な事を、さも当然とばかりにこなす一方、当たり前に思える事がまるでできないのは、仕方ないとも言えます。
20年後、今度はどんな若者が現れてるのでしょうか。
若く(=新しく)なる程、個が強く全体意識が弱くなってますが、これ以上進むとコミュニケーションが成立しなくなるんじゃないかって不安も出たりします。
娯楽が少ない時代のブームは、まさに日本中を巻き込みました。
ムラ社会だの、家族意識な会社だのは色々しがらみが面倒ですが、義理でいやいや参加した行事から、宝物に出会う事もあったでしょうが、そんな風習も廃れました。
調べ物一つとっても、辞書や古新聞、古雑誌ならついでに目に付く不要な情報が、別の機会に役立つ事もありました。
個の尊重も大切、情報が溢れている以上整理も大切。
けど、その過程で無駄と切り捨てられた部分に、共通認識とか共同体験とかがある訳で。
ヒトは、共通性を感じないと思いやりが難しくなりがちです。
多くの外国では、宗教が基盤になり得ましょうが、日本じゃそれも厳しいです。
今の流れだと、個性ばかり強くて、相手の事を理解できない人種が誕生する日が近いんじゃないでしょうか。
もっと幅や奥行きを持った考え方が持てる社会に、早く舵をとらなくてはと感じました。
人格や能力における、専門性ばかり追求するのではなく、汎用性や安全性を持てる世の中。
まあ今の自分自身、安全性は皆無ですけどね。
それこそゆとりがない(爆)。
汎用性はそれこそ文字通り中年ですので、有って当然でしょうけど(笑)。
ウダウダ書いて、休日を鬱々過ごしたのでした。
登録タグ:
テーマ:日々 | 投稿日時:2009/04/05 12:42 | |
TCGカテゴリ: | ||
表示範囲:全体 | ||
前のブログへ | 2009年04月のブログ一覧へ ブログ一覧へ |
次のブログへ |