TCGとネット情報(みんな)は今では欠かせない組み合わせです。ゲームが近代化するにつれ外的情報を遮断して、ゲームそのものと向き合う機会が減ったと思います。幸運にも、私は、『メゾン・ド・魔王』と2.5次元パズルゲーム『FEZ(フェズ)』を自力走行しました。
『メゾン・ド・魔王』は攻略のポイントを見つければ、跳び箱の踏み切り板の飛び方を学習したように、短期間で学校にある最上段(8段かな?)まで到達できます。体育とゲームの違いは先生がいないことです。我流で覚えるから習得には個人差があります。ですから、『メゾン・ド・魔王』はくじけさせない演出(音楽・敵&味方注釈・攻撃パターン変化)がインディーズゲームの限界まで良質ともに高レベルです。親や友人にクソゲーム扱いされても、ゲームデザイナーだけは唯一の理解者で応援者であると、再確認させたゲームでした。
『FEZ(フェズ)』はゆるキャラのスーパーマリオの探索アクションゲームです。
ゲームクリアー条件であるキューブ100%回収はノベルゲームの文章コンプと同じ攻略でいけると踏んでいましたが、とんだ地雷でした。地雷を教える看板はそこら各地ありましたが、それは英語圏の人でないと解らないヒントでした。難解なヒントは孤立したプレイヤー殺しでゲームの禁断領域です。振り返れば、レトロゲームは難解ヒントが常駐してました。しかし、今では回答率0.1%でも1000人の「みんな」が集まれば、解けて、答えとご褒美を共有することができます。
『FEZ(フェズ)』はその方向性だったのです。親しみやすいキャラもゆるいアクションもすべて人を集める手段です。
TCGは「みんな」で攻略するゲームになりました。途絶えることないカード、数万の組み合わせのデッキ、「自分」で抱えられる量をはるかに超えています。だから、集まる、集められるのです。しかし、「みんな」の後はカオスです。『FEZ(フェズ)』にはカンニングしたというネガティブさを払拭させる答えと演出があります。そこにゲームの絆とデザイナーの感謝がある。
2つのゲームを体験して、TCGは集めることに夢中で、孤立したプレイヤーにゲームの楽しみやおもしろさのが希薄です。
運要素で誰でも勝てる、キャラが萌える、本格的なゲーム、どれも人が集めれる言葉だけど、それがゲームの核の部分とは思いません。そして、人が集まれば、それの集客ばかりで、その人々に何を体感してもらうか思いがない。
TCGの良化はそこにあると思うのです。
登録タグ: 水曜日の斜め上TCG論
テーマ: | 投稿日時:2013/02/13 21:03 | |
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