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TCGの「ゲーム」と「遊び」について

美味しんぼの登場人物「山岡士郎」の長女は「遊美」といいます。命名は「遊びの心」を感じ「遊ぶ」に「美しい」です。しかし、私は「遊ぶ」=「ゲームをする」のビデオゲーム全盛期だったので、作者の考える「遊びの心」は今でも謎です。
死語になりつつある「遊び」を題材にしたゲームがあります。それは弾幕STGの「東方シリーズ」です。あの世界はスペルカードルールによって殺し合いの決闘を遊びに変えました。
「ゲーム」によって廃れたはずの「古典的遊び」が、ゲーム内の設定によって玉を避けるだけのゲームから彼女達の遊びを疑似体験するストーリーゲームに変わりました。
TCGにも「デュエルごっご」という漫画(アニメ)「遊戯王」の物まね遊びがあります。原作の「闇のゲーム」は「決闘」の設定ですが、「決闘」による紛争解決は日本では非合法で身近なことではありません。
「決闘」をバトル呼んで、男心を煽り煽られますが、知識を持たない動物さえ決闘は最終手段なのです。
私の思うに、「遊戯王」は「ゲーム」を「決闘」フォーマットに用いたために、「ゲーム」の大切なことが抜け落ちました。その結果、TCGは結果主義の後遺症が残りました。
「ゲーム」は結果よりも、その判断や操作や処理によるプレイそのものに意味があると考えています。ステージクリアーや勝敗や達成率もゲームデザイナーの白黒判定にすぎないのです。
「遊び」も「ゲーム」も行為そのものに意味がありますが、その違いは……「遊び」は 「シチュエーション」の自作自演です。「ゲーム」はデザイナーによる「シチュエーション」体感して、解き明かすことです。
「東方シリーズ」は古典シューティングゲームです。スペルカードによる攻撃はパターン化や反射で最適化できます。ゲームの画面にいる彼女達の「遊び」は「弾幕決闘」再現です、「弾幕ごっご」に攻略や最適化はありません。
私達が遊ぶ最先端のビデオゲームは「シチュエーション」の再現を違和感なく肩代わりします。しかし、TCGにおける再現化は泥臭くプレイヤーで行われます。さらに、同時進行でゲームの最適化もします。その比重はTCGの付き合い方で個人差があります。そして、蔓延する結果主義で軋轢が生まれます。
私が思うTCGの改善点はその個人差を埋めるゲームシステムです。

登録タグ: 水曜日の斜め上TCG論 

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テーマ:投稿日時:2013/02/06 15:47
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