主人公は「今までは勝つことだけを目的に戦車に乗っていました」と回想します。戦車の歴史は敵を打ち砕く進化そのものです。勝てない戦車は鉄の棺おけです。高性能(相手より上の戦車)の扱うことは正義で、負けを認めさせる印籠です。
水戸黄門のように権威だけでなく戦い続けることによって贅肉がおとされ強靭な筋肉、高性能のデザイン(かっこいい)になりました。
さて、高性能は高価であることが難点ですが、操作人を選ばない「扱いやすさ」を備わりました。つまり、金を落とし続ければ、誰にでも同じ性能を獲得できます。
レアカードの束ねたデッキでベテランを打ち負かすこと、ルールに詳しくないプレイヤーでも期待に応えるカード。払った金額とつりあわない物が日常的な業界もありますが、TCGは今のところ高性能=高価であるが常識です。高価を許容できる人=マニアが買うものという将来リスクがありますが、この現実(恩恵)を認めるしかないようです。
さて、「デュエルスペース」や「弾丸が飛び交う演習場」の戦いの共通点は少ないですが、扱いやすさを兼ね備えた高性能の戦術は「王道」スタイルになりました。ハードウェアーの性能を100%行かせる戦況づくりと、相手の攻撃を見て回避する「待ち」スタイルです。扱いやすさはオートメーションですから後手の対処(アジャストする)です。
無駄な動きをしない、ミスを犯さない、判断を誤らない、高性能を壊さないことが操作のものさし基準です。
勝つために高性能化→高性能を無駄にしない→勝利。経済主義とテクノロジーが噛み合う強力な方程式です。しかし、このこれは「勝てることがすべてです」逆に負ければ、今まで積み重ねたものが雲消霧散します。それは大きな心理的負担です。それが重症になれば「勝てそうもないことは挑まない」と変わります。
私は、高性能のデッキオーナーはその予備軍と考えています。そして、高コストの不満をいいながらも高性能デッキから抜け出せない深い問題です。
「ガールズ&パンツァー」の主人公は勝利&高性能&王道からの切り替えがありました。
「勝利」→「本当の楽しみ」「高性能(ティーガーI )と強豪チーム」→「低性能(Ⅳ号戦車)と素人チーム」「王道(待ち)」→「裏道(進む)」です。前の二つは捨てることやあきらめることでできますが、裏道や進むことは意思がなければできないことだと思います。そして、勝てない試合に挑むことも、その意思が求められるのです。また、高性能を買うことがその意思表示であると、売り込むメーカーや思い込むユーザーが多数派です。私の場合、「勝利」という見える結果が意思表現だと考えていました。虚構ですが、主人公が追い詰められて「私、戦車道やります」のお約束のシーンがあって彼女を疑いました。みんなをガッカリさせたボロ戦車でも彼女は「……大丈夫そう、これでいけるかも」と力強く言い切ったことで、疑いがはれ、やるという意思はハードウェアーや現実結果を凌駕する強力なエネルギーであると教わりました。そして、今の高性能でも大事なことや大切なことを伝えきれない部分があると思うのです。
登録タグ: 水曜日の斜め上TCG論
テーマ: | 投稿日時:2013/01/23 17:44 | |
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