伝えたいことは言葉以外にも虚構や物でもゲームでもやどる時があると信じています
MTGを媒介にして、私と「ゲームデザイナー」のゲームの意味と未来の会話が続いています
他人に勘違いだと笑われても、デザイナーに迷惑がれてもかまいません
それほどまでに値打ちがあると思っているからです
しかし、子供の将来の夢、第3位の「ゲームデザイナー」今では死語になりました
ビデオゲームは高性能、大規模開発が進み各パートの細分化で「ゲームデザイナー」はいわゆる組織のマネジャー「ゲームプロデューサー」に変わりました
私は組織というものが大嫌いで、企業のイエスマン「ゲームプロデューサー」は拒否反応がでます
だから、MTGや卓上ゲームが「ゲームデザイナー」唯一会話の場で真の楽園だと感謝してます
MTGも普通のゲームのように攻略方法を考えて方法と手段を最適化します
その結果、勝利して楽しかったり、面白ければいいのですが、負けてストレスがたまれば「つまらない」と言い残してドロップします
私が、ドロップせずに済んだ理由は、「なぜ?その根源の強(凶)カードがデザインされたのか」と言う疑問があったからです
強(凶)カードはデザイナーが悪いのか?使うプレイヤーが悪いのか?
の二択論は難しい問題ですが、若かった私はカードは道具の立場として刃物とように使い方を間違えると自分も相手も怪我をする自己責任論者でした
だから、強(凶)カードを使用するプレイヤーを強烈に批判したこともありました
皮肉にも、その間違いを正すためにとても大きな原動力となりました
彼らと反発しながらも、強(凶)カードを使用するプレイヤーの考えと現実問題を知り、どのセットにも「ゲームデザイナー」が意図して造られることを認めるようになりました(認めるしかない)
私にとって、「ゲームデザイナー」の立場を考える転機になりました
「イニストラード」の両面カードは賛否両論ですが「ゲームデザイナー」が採用した理由は彼らの言葉よりも実際にプレイしてみると本当の意味がわかる気がします
MTGには自分から一歩踏み込んで、手を動かし、カードを見て、対戦相手に耳を貸せばわかることがたくさんある、それでもわからなかった答えはいつか必ず意味を持つと思います
それが私にとっての「値打ち」です
登録タグ:
テーマ:日記 | 投稿日時:2011/10/26 20:49 | |
TCGカテゴリ: | ||
表示範囲:全体 | ||
前のブログへ | 2011年10月のブログ一覧へ ブログ一覧へ |
次のブログへ |