まあ自分は色んな意味で本物を知らないと思うけど…。
ダイヤの本物を知らないが故に、ガラスで綺麗と思うってのは、
1
良いものを見せても違いが判るレベルにない為、猫に小判、豚に真珠…なのか?
2
権威に捕らわれず良さを見出だす、純粋素直な感性…なのか?
どちらなのかは悩む処ですが、自分の場合色んな方面に中途半端に知識や経験があるような。
全く知らないなら良かったのに、半端に知ってる為に、自分の感性が曇ったかの様に、自信が持てません。
楽譜がほとんど読めずに勤まるレベルながら、6年近く音楽やってた訳だし。
なぜか友人知人がやってたり(アマですが)。
そうすると耳が肥えてきますし、知識もいわゆる門前の小僧って奴でそれなりに。
食ってか味覚もね。タバコで鈍っただろうってのもあるし、自身の好みが素材の味<調味料の味な味覚音痴な所はあるけど、バブル期の経験やら、逆に田舎育ちとかで、本物の味も知っている…。
基礎が固まってるなら自信にもなるけど、基礎がそれなりレベルなんだよね。
無いなら無いなりに何とかなるのに、半端に有るから、未体験ゾーン突入時に、知ってる範囲の知識・経験を組み合わせて理解したつもりになってしまう。
でも、なかなか目の前の事象を虚心胆懐?に受け止める、受け入れるってのは難しいのです。
今自分が感じている事は、評価として過大なのか過小なのか、素直なのか歪んでるのか、現物自体がどうなのか。
歪形の美…意図的な歪みって表現もあるから厄介です。
そもそも自然物も均整とは限らない。
文化にさらされると、いつもこんな命題を突き付けられる思いです。
心にパワー、体は限界…疲れました、今日は。
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テーマ:日々 | 投稿日時:2010/05/30 00:15 | |
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