は、天空剣です。ボルテスVですね。
コンVと比べて正直人気が落ちたイメージがあるのはリアルタイムで小学校低学年男児だったからで、高学年~中学生の女子限定なら人気アップ間違いないんでしょうね。
まあ余談は程々にして。
こんなタイトル付けたのは、岐阜県の交通網、特にJRの話をするから。
現在の岐阜県の東濃地区から西濃地区、それどころか中濃・県庁所在地岐阜市に行くのはかなり不便で、鉄道使うなら遠回りな筈の名古屋経由の方が速い事もしばしば、まるでVの字のルートなのです。
それにはこんな歴史的事情があるのでした。
座った獣…犬とか獅子とか…に喩えられる形の岐阜県ですが、頭の部分が飛騨、胴体部分が美濃ですね、旧国名の。
横長長方形の上に、小振りな正方形が乗っているとも言えます。
で、そんな胴体というか長方形というかの南部・美濃地方は、左右に三分割して語られる事が多いです。東濃・中濃・西濃ですね。
ほんの百何十年か前迄は、中山道が貫く街道筋で、それなりに栄えていた模様です。
小藩ばかりだった為、これといった大都市は生まれなかった訳ですが。
で、直ぐ南の尾張、こちらは徳川御三家筆頭の大藩です。家老職の成瀬家を犬山藩として独立?させていただけで、知多半島を含む尾張地方を統轄していました。城下町名古屋の南端が、東海道の宿場町熱田と接していました。
東海道は熱田から海路で桑名と結ばれており、桑名から先は鈴鹿山脈越えと不便でもあり、名古屋から岐阜に抜けて中山道というルートは、主要五街道ではないもののそれなりに栄えておりました。
さて、廃藩置県からそれに続く小県合併。場合によっては合併後分離とか、一部地方の移管とかがあって、現在の47都道府県ができる訳ですが。
岐阜県は飛騨の処遇が迷走して割と遅くに現在の形になったんですね、細かい事いえば越境(市町村)合併で長野との県境は今世紀に入ってから変わりましたが。
一方愛知県は割とすんなり尾張・三河が統合されました。気質が違って反りが合わないと言われたお国柄も(流石に20世紀末には言われなくなりましたが)、まるで問題にしない合併。
これは力関係に差があったからで、三河は旧藩時代がやはり小藩分立だった為、統一されていた尾張の方が当然強かった為でした。
この構図が、国鉄のルート選択にも影響。
当初中山道ルートが有力だったのが(理由は国防、海沿いより内陸部の方が守り易い)、地形的に問題が多いと中座した隙に、発言力の強さで名古屋はルート変更に成功。
京都から見て、岐阜(市)から多治見(市)へ抜けて長野県抜けて東京の筈が、岐阜から南下、名古屋からは東海道というルートに。
これで急峻な地形は箱根のみとなりましたが、ちゃっかり自らを交通の要所とした(愛知)尾張名古屋に対し、岐阜(美濃)は東部が(物流的に)切り離された形となりました。
結局このルートで、高速道路(東名&名神)も新幹線も引かれる事となり、中核都市として名古屋は大きく栄えました。
岐阜(市)は名古屋から現在、車や電車で30分程と近い為、都市機能としては名古屋に依存する形になってしまい今一つブレイクできません。中山道ルートのままならゆくゆくは名古屋を逆転し、今頃は名古屋が岐阜に依存した地方都市だった事でしょう。
そして切り離された東濃地区。
交通網は(中核都市の)名古屋を起点に整備された為、国鉄(現JR)も高速道路も岐阜市ではなく名古屋市から伸びてくる事に。
一応は、JRなら大多線等、真っ直ぐ西(岐阜市方面)と結ぶ線もありますが、名古屋周りの方が下手すれば速い、そんなローカル線(名古屋周りなら中央本線→名古屋乗り継ぎ→東海道本線)。
我が家のJRの最寄り駅は大曽根。東濃の中心都市・多治見市迄は大曽根から30分程。
にも関わらず、ネタ目的で何度も乗り継いで西濃の中心都市・大垣市に向かったムノーなのでした。
現在到着、ショップ探しつつ観光中。
ところで、何故岐阜市ではレンストの大会をやっていないのだ(岐阜県では多治見と大垣のみ)!
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テーマ:日々 | 投稿日時:2010/05/02 11:29 | |
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