ターン開始時のドローはデザイナーのプレゼントのようなリソースです
もしドローステップがなければ、追加のない初期手札ではゲームが進めません
ドローリソースは余剰リソースの変換や脅威となる対処法など解決策が秘めてます
ドローをとばされる憂いもなく安定で柔軟力があるリソースです
プレイヤーはドローリソースを少しでも効率化するべくカードを購入し1枚1枚検討して差し替えます
しかし、その努力も望むカードを引かなければゲームに勝てません
TCGは解決できるカードを引かなければ無理ゲー(いわゆるガチャシステムです)であって、ぎりぎり一歩手前のクソゲーなのです
私の斜め上の持論ですが、ゲームデザイナーはどんな時でも行き詰ったプレイヤーを救済する義務があります
例えるなら……
カジノで遊びすぎて剣や防具も質にだした裸勇者でも王様は再チャレンジを与えなければいけません。反対に、大儲けした成金勇者でも「りゅうおう」討伐の除名はできないのです
デザイナーの課題は「どこで行き詰まり」・「何で救済する」です
裸勇者に金を与えても、またカジノで同じ過ちをします。王様は武器を与えて、モンスター討伐のきっかけを作ります
成金勇者には、姫の婚約話を持ち出し、嫁入り道具で勇者を散財させて「りゅうおう」討伐で任命責任を果たせるのです
TCGの定番のドローリソース=デッキ万能論は最近のきめ細かい親切ゲームに比べれば、とても時代遅れだと思います
それを解決しようと、デザイナーはカードにテキスト枠やアイコンを配置して救済策を押し込みますが、対戦ゲームの命題である「公平と平等」のバランスで前に進めません
それでも、私がべた褒めするMTGにはまねできないデザインだと思います
登録タグ: 水曜日の斜め上TCG論
テーマ:日記 | 投稿日時:2012/05/16 20:21 | |
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