http://tocage.jp/blog/351/1323578540.html
の続きだけど
プロレスについてちょっと詳しく書きます。
TCGとプロレスの関連性と書いてはいるけど
個人的には
「一般人はプロレスを許すか許さないか」
という事にあると考えている部分もある。
先回書いたがプロレスを「八百長」と断ずるのは簡単である。
では「ファイティング・オペラ」と書いてみようか。
いわゆる「ハッスル」という団体が行なう興行をさしますが
アレをみて八百長とかいったら笑いますよね。
仮面ライダーと怪人が戦って仮面ライダーが勝つのをみて「これは八百長だ!」というのはアリですか?
「ドラマだから」
うん。
プロレスもある意味ドラマです。
でも、問題は「ライブであるから波乱が起きやすい」ということです。
更に体力と技術が常人の数倍も必要とされます。
観客はプロレスリングという「ライブ」を見ているのです。
「ライブでドラマ」というのは波乱が起きやすい。
たとえ「ブックがある」=「脚本がある」としても
ちょっとしたことで波乱が起きる。
それでも選手は試合をする。
骨が折れても。
それで人が死ぬ事もある危険な職業なのです。
選手も死ぬために試合に出るわけではなく
観客の喝采を浴びるためにリングに上るのです。
リングに上る以上体を作らなければならない。
そしていい試合をして観客に喜んでいただけなければならない。
それを「八百長」というのは
「仮面ライダーと怪人とどっちが勝つか賭けをしようぜ」と回りに吹聴するのと同じです。
元来「試合」というのは「仕合」、殺し合いの意味合いを含んでいたはず。
太古から人は殺し合いをして「技」を磨き「体」を作っていた。
ま、そんな歴史のような話は抜きとして
「人が死なない」状況になってから
「技術を披露しあう」ということで衆人環視のなかで「試合」を行なうことがあり、それを興行とする人も現れた。
興行となれば観客に集まってもらうために色んな事をする。注目された方が観客が集めやすい。
その方法論として「スターの存在」というものがある。
そしてそのスターを輝かせるために「魅力的な悪役(ヒール)」の存在が必要だ。
興行とするなら「何か悪い?」という話になる。
スポーツの技の競い合いとしての興行と
観客を喜ばすための興行の違いという感じだろうか。
正直私は強者が弱者に「一方的にタコ殴りにして勝つ」のはみたいと思わない。
判官びいきというやつですね。
強者でも弱者の「良い部分を引き出して、その上で勝つ」というパターンはしびれます。
それを出来る限り体現している興行はプロレス以外あまり見当たりません。
もちろん
「毎回同じじゃ観客も飽きる」ので
逆転するパターンがあるのもプロレスが多い。
今は亡きジャイアント馬場は「水戸黄門」が好きだったという話がありますね。
そういう風に考えると
プロレスは「エンターテインメント」として正しい形を成しているといえるのですよ。
こういう話はプロレス好きなひとには「何をいまさら」ということですけど
若い方にも知ってもらいたいと思ったので
とりあえず「蛇足」で書いておきます。
もちろん、異論も認めます。
それを許容するのが「プロレス」なので。
登録タグ:
テーマ:日記 | 投稿日時:2011/12/14 22:37 | |
TCGカテゴリ: | ||
表示範囲:全体 | ||
前のブログへ | 2011年12月のブログ一覧へ ブログ一覧へ |
次のブログへ |