はいぱぁ・すくらむ・こんばぁじょん

何が正しいか、歴史が証明する!
歴史は勝者が作る!
正義を語るには、勝利と云う結果が必要だ。
力無き正義は無力なり!

って、現実を認めつつ、「やっぱり愛だよね」って自己満足の涙に溺れる……。
そんな体感が味わえる、ユルーイブログになりそうな予感。

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改めて完結編へ

さあ、自分にとっては再チャレンジ。
とっとと書き上げないと、他の方の、異論・反論?に目を通せないじゃないですか。
途中でブレるのが嫌で、なるべく避けてますから。
書き上げる→他の意見を見る→転向する或いは反論する
となったら、完結編の後ですから復活編ですかね(どこの宇宙戦艦・笑)。

過去2回?の引きはこんな感じでした。

TCGは金銭的な負担が大きい
TCGは新弾を出し続ける必然性があるが、それは正しい事なのか(少なくとも特殊ではある)

大雑把にまとめると、
新弾発売による環境の変化がユーザー(プレイヤー)にとっては刺激的な為、飽きもせず継続でき、販売側にとっては定期的収入を得る事が可能となる
というシステムは、裏を返せば常に新カードをデザインする製作側の負担と、新弾を購入するユーザーの金銭的負担によって成り立っている
そもそもルールの類が流動的かつ、拡張傾向を持つゲームというのは稀で、しかも時代にそぐわないのではないか。

って事を、雑談、脱線交えつつ書いてきたつもりです。

ラジコンとかミニ四駆といったおもちゃの楽しみ方が、TCGと最も似ているんでしょうね。
出来合いのキットを素で組み付けて完成させるのが入門編なら、パーツを購入或いは製作して付け替え、初期状態よりも性能を上げる(失敗すれば下がる)その先の楽しみもある。
その先に進むには、当然それなりにユーザーには負担が増える。

しかし、このようなレース系のおもちゃ、TCGでの「新弾発売による環境変化」って程には、ユーザー側に対応=改造を要求する変化はありません。レギュレーションの変更は有れど、ある程度改造が進むと、ユーザー好みのバランスで落ち着いてくるもので、試行錯誤してる段階が一番お金がかかります。
何より無改造で一人遊びしても、そこそこ楽しめる…まあこれはTCGにおけるコレクター層のようなものでしょうが。

おっと、今回はメインにしたい題材が違うのでした。
世の流れってものについて話そうと。
実のところ、ゲームに限らず物事というのは、世間に受け入れられるか否かでまるで扱いが変わります。
近年は国際化、相対化等々、マイナーである事のハンディは以前と比べてはるかに軽減されましたが、やはりメジャーである事が安定とか信用とかに繋がります。
なぜここでこのような話題を急に振るかと言えば、自分の中のTCGに対する否定的な部分の何割かはそのマイナーさ…誤解のない様に、世間の認知度がマイナーである事ではなく、自分の場合はここ迄書いてきたようなルールの特異性…にある為、メジャーとなる事で特異性がむしろ標準に成り得ないかと。
ダーウィンの進化論、これが理解は別として存在がしれわたっているのは学術的な正確性という訳ではありません。それでしたら理科嫌いでも聞いた事があるってレベルにはなりません。
キリスト教会の権威が失墜しつつあった(=旧約聖書での天地創造時に全ての生物が創られた説への疑念)時代背景に加え、学説内の、「適者生存・自然淘汰」の考え方を抜き出して、社会進化論の形に変容していった世の流れがあったからこそ、メジャーに成り得たと言えます。これは重商主義から帝国主義への流れ、更には現在の資本主義へと続く潮流に乗っていたと。
同じ例なら相対性理論もそうですね。
あんな難しいものを正確に理解してる人は凄いと思いますが、そんな名前の理論がある事ぐらいはかなりの人が知っている。
これも、交通・通信技術の発展で(相対的に・笑)地球が狭くなった今、二元論的に絶対正義を掲げては争いが絶えない、いろんなものがあって良いから、お互いを尊重しましょうって世の流れに合致しているからこその事。

逆に最初にタイトルに使ったコペルニクスの地動説。正しくとも世に逆らっていては受け入れられないって例ですね。真実はいつかは認められるとも言えますが。

TCGの持つシステムの特異性が、優れているならいつかは、優劣はどうあれ時代の流れに合っているなら近い将来、特異性はスタンダードとして当たり前になる。
そう考えると世の風潮ってのも大事だとは思えませんか。


TCGが生まれてここまで成長してきたのは、資本主義とか自由経済といった考え方に合致していたシステムだからというのは、間違いではないでしょう。
自分は否定的な見地から書いてきましたが、製作側、販売側にとっては売れなきゃ始まらない、売る為に工夫する、売れるから次(新弾のみならず新タイトル)を作るって、ごく自然な流れです。
売れなければ打ちきっても、アナログゲームなのでアフターサービスは殆ど考える必要がないのも都合良いでしょう。怪我(対PL法)も考えなくて良さそうな商品ですし。
他のアナログゲームですと、ユーザーは追加投資をしませんからメーカー側は毎回新作を作る必要がある訳で(でないと一度飽和してしまったら収入が途絶えます)。
シミュレーションゲームやテーブルトークロールプレイングゲームはそこが苦しいところ。
パイ(市場規模)が小さい為量産効果が見込めず、単価が高くなりユーザーが手を出し辛くなる負のスパイラルに陥ったと。
拡張ルールって形の追加商品もあるにはありますが、基本的に毎回新作…売れるかどうかは解らないってのは厳しいです。
TCGの新弾であれば見通しがたちますから、それは有難いでしょう。
他のアナログゲームは…歴史と伝統といいますか。
ユーザーの数は桁違いだし、高級品は伝統工芸品ってか、家財道具ってか…最早消費財とは呼べませんからね、囲碁や将棋やチェス等々。
人生ゲームとか野球盤とかのメーカーの経営はどうなってるかピンときませんが、あれ、事実上独占してますよね、それもかなり大きなおもちゃメーカーが。
部門としては成績悪くてもなんとでもなりそうだし。

話を戻して、じゃあ資本主義の世の流れに沿ってるから問題ないのか、自分はそうは思いません。

ポスト資本主義として20世紀に声高に誕生した社会(共産)主義は、イデオロギーとしては百年持たずに返り討ちとなりましたが、資本主義による世の歪みというもの自体は社会主義に限らず指摘され続けている訳で、しかもその声は年々大きくなっています。
とって代わるだけの普遍性のある思想がある状況ではありませんが、自由経済を掲げて国際化が推進された結果、かなり大きな反動としての揺らぎの時代が現代です。
まあその多くは非建設的な形…テロ等に出てしまってますが。
環境問題すらテロに使われるご時世ですからね。

でもまあ一つのキーワードはやはり環境(エコロジー)でしょう。共存とか共生とか。
また、(実生活上の)環境の変化…自然破壊のみならず国際化とか政変とか今の日本なら不況とかが激しい時代なればこそ、平穏とか安定とかも求められていますね。
過当競争だとか社会格差だとかが問題視されてる訳です。これは自由経済に任せていては解消されない…悪化ならする問題ですからね。
答えの見えない揺らぎの期間が当分続くのか、或いは行き過ぎた資本主義で滅びの道を歩むのか、それとも新思想が資本主義にとって変わるのか、はたまた修整資本主義と言うべき形で問題解消して安定するのか。
その結末は見えませんが、現時点では内憂外患ならぬ内憂内患ってくらいの状況な訳で。

TCGってそれと相似形と思いませんか?
確かに単価は安いから、身の丈に合った楽しみ方をすれば問題はないのですが、常に変化を強いられる。
変化は期待と不安を共にもたらすものなので一概に悪いとは言えないものですが、安定とは対になる、真逆の方向性です。
個人レベルじゃ、嫌なら止めるだけの話。
止める人が多ければ業界が衰退するって話です。
現在楽しんでいる人間としては、衰退ではなく発展して欲しいところではありますが、どうも誕生時点からベクトルが資本主義の申し子って気がします。
変化しかり、競争しかり。

そりゃ、王候貴族の遊び、みたいに、一流のステータスとしてメジャーになるって道はあるのでしょうが、大衆の娯楽としてメジャーに成りうるかって問いには否定的にならざるをえません。
世知辛い世の中で、趣味の世界でまで変化を楽しむ心境にはなかなかなれないでしょうし。
まして趣味の世界でも格差社会ってのは如何なものかと。

同じように誕生から歴史の浅いデジタルなゲームは、ある意味今のご時世に合ってます。
あちらは電気がなければ役立たずとか、特に画像処理なんて電気喰うわコンピューターの処理能力要求するわとエコロジーからは遠いですが、一人遊びに便利(かなり特異)とか、それこそ最近はネットでつながるとか別の方面で時代にマッチしてますから。
向こうの方が歴史が古いとか、爆発的なヒット作があったとか、確かに差は他にもありますが、TCGとの認知度の差は、世の流れを掴んでいるかの差があると思うのです。



最後に少しは自分も前向きな事を書いて締めたいと思います。
と言っても、スタートからこう生まれついてるゲームですから、抜本的改革ってのは不可能(新たな別のゲームになってしまう)なんですが。

それはやはり、レアリティのあり方を変える事に行きつくのではないでしょうか。

全てがノーマルカードのTCG(レアリティが存在しない)ってゲーム、メジャータイトルに在るんですかねぇ。
ゲームシステムとか世界観とかにも魅力は必要ですが、レアリティのないTCGがビッグタイトルに育てば、面白いかもしれません。
或いはレアは全て絵違いのノーマル仕様が存在するって形も良いでしょう。
既存ユーザーに受け入れられない可能性も高い、極端な例ですが。
もう少しソフトな改革となると、レアカードの性能を下げるってのもありますね。
いや、確かに開封してガッカリレア(外レア)引くと悲しいですけど。
性能は高いけどラッシュコストが重いとか、限定・特定状況でのみ強いとか、要は使用するのに癖が強いカードとしてデザインしてもらう。
この辺りの具体的な事は、マトモに触ったタイトルがレンストのみの自分が意見するのは、知識の無さを露呈するので難しいんですけどね。
レアカードは、誰でも判る強さではなく、使いこなした時のみ強いカードで良いと思います。
珍しいものを入手した事そのものを楽しみ、使いたかったら工夫してねって形です。
後に制限カードになるような高性能カードは、誰もが入手できる、幾つものデッキに投入できるノーマルカードでリリース。

再録とか、過去弾カードの上位互換となるカードについても思うところはありますが、まだ自分でもうまく考えがまとまらないので、とりあえずはレアについてのみの提案?なのですが。
現状でノーマル縛りのデッキで強いデッキに仕上がるタイトルもあるでしょうし、スターターでそこそこ戦えるタイトルもあるでしょう。
けど、色んなカード使えた方が楽しみが広がるし、嫌でも新弾環境に替わる度、対応する必要が出てくる。
その時の金銭的負担というのは、軽いに越した事はない訳です、裏を返せば負担が重い方がメーカーは儲かるんですが。
ユーザーが幾ら使うかはユーザーの自由ですが、使った人と余り使わなかった人の格差があるのは健全とは言えないのではないでしょうか。
同じ条件(資産格差なし)での戦いならば、構築とプレイングの知的ゲームだと胸を張って言えるのです。
まあブードラみたいな遊び方は確かに今でもそうですが。

自分は楽しいからTCGやってます。
けどマイナーなので対戦相手探すのも一苦労(大会及びそのついでのみ)です。
もっと多くの方に楽しんで欲しいです。
でも気軽に薦めるには、抵抗があります、それは…。

って話が、なんか凄く大袈裟になってしまったのは訳わからん引用が多いからなんですが。
けど入り口が気軽なのは良いけど、継続には覚悟がいる(大袈裟ですか?)って遊び、ホイホイ薦められますか?
自分にとっては今のTCGは、タバコやお酒やギャンブル(全て好きです・笑)と大差ない、リスクが気になる趣味なのです。

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あなたはこのブログの 279 番目の読者です。


テーマ:日々投稿日時:2009/11/05 17:27
TCGカテゴリ:
表示範囲:全体
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現在“2件”のコメントがあります。
110722_2 ニット さん [2009/11/06 04:44]
完結編、どうもお疲れ様でした。

感想も含めた私からの応答はちょっと間をください。
(これでもなかなか忙しいのです)

ではお体をお大事に。
久遠きざむ ムノー さん [2009/11/08 10:27]
レス遅くなってすみません。
モンコレの例とか色々知る事ができて勉強になりました。
商売として成立する事も、現状では普及には欠かせない事ですから、難しいですよね。