よく言われるのだけど
ツイッターやFacebookで情報交換というのは大切で
その力はとてもパワフルであるのだけど
それに頼っていては限られてしまう。
あれもこれもやらなければならない。
そうしなければ偏った形になりいびつな形になりやすい。
それは一つのニュースに対する意見が書かれているところをみるといい。
いろんな意見があるべきところで一つに意見しかない状況に
「不思議」を感じないのだろうか。
本来人は環境によっていろんな考え方をするものである。
勿論ある程度のマナーや知識がある事を踏まえても
「意見」は様々であることが「普通」なのだ。
良い悪いの二択を迫られているわけではないニュースにおいて
「こうでなければならない」
という意見がどれだけ多いことか。
それ自体がおかしいことだと私は思っている。
私は天邪鬼なので
「こうでなければならない」
という気持ちがわかるとあえてその道を選ばない気持ちがむくむくとわきあがる。
別の道が無いかと思う。
そして、いくつもの選択肢を自分に科す。
その上で「言い訳」を用意している場合もある。
何故その仮定を選ぶかを考えている。
だからデジタル環境のデーターは「あくまでも一部」と考えている。
勿論テレビもラジオも新聞も
「なんらかに編集されている」と考えている。
ネットではある意味その編集が出来ないように思われるが
そんなことは無い。
まとめサイトは編集ばかり。
気持ち悪いほど「まとめ主の意見発表場」である。
それも自分の言葉ではなく
「こう言う人がいる」というのだ。
それはそれで別に悪いことではないが
少なくとも「ただしいものではない」ということを知った。
インターネットは万能ではない。
でもきちんと使えばこれほど便利なものはない。
でも便利に飲まれては
足元をすくわれてしまうということは常に自覚してないと。
登録タグ: 雑記
テーマ:日記 | 投稿日時:2012/08/10 23:55 | |
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