風呂入っていたら下らない話を思いついたので
バカ話ということで流し見してください。
月曜の夜、何かスイッチが入ってしまい
ツイッターでバカみたいに色々つぶやいて
挙句に読み返すの恥ずかしい文章になっていたのですが
それはそれで
やっちまったもんで諦めるのですが
基本的にウソもないし。
それを風呂の中で思い返してたのですよ。
何か良い方法論はないかなと。
で、たまたま数年前のゴング(プロレス雑誌)を風呂場に持ち込んで
見ていたら
ジャッジも「迷ジャッジ」とか存在してもよくないか?とか思ったのです。
ま、思考実験ですね。
たとえば
TCGの対戦を格闘技とした場合
素人目にどうしたらわかりやすいかという方向性からか考えてみるに
プロレス的方向性と格闘技的方向性
と勝手に想像してみた。
プロレスと格闘技
つまり
相手の技を受けることも考え、その上で相手を倒しに行く
のと
相手の良い部分を一切消して自分が勝ち上がる
という方法論。
TCGにそんなのを求めてもしょうがないと思うのですが(笑
で、それならジャッジ論としてそう言うジャッジがいてもおかしくないのではという暴論を導き出してみました。(笑
例えば格闘技などで「レフェリー」が名物になることはあまり無いように思えるのですが
プロレスなどでは各団体に名物レフェリーがいてお客さんを盛り上げたりする事もある。
プロレス団体そのものが「裁定」より「盛り上がること」を目的とするためにその中でジャッジングが甘くなったり。
例えば某プロレス団体では反則は5カウント以上行ったら「反則負け」というけど
逆に5カウント以内であれば何度でも反則が可能であるということだ。
それでラフファイトをするプロレスラーがいたりするわけで
一つのギミックとして成り立っている。
これが例えばボクシングのような場合
「故意」によるものと「故意ではない」というジャッジングを別にて
反則そのものが行われたら没収試合とか負けになるかするわけです。
じゃ、TCGはどうなのか。
そこまで真剣勝負をしているのかなと。
いわゆる「ガチ」な人は
どこまで「ガチ」なの?
という話になる。
他人を貶めることに話をもっていっても、その姿勢に問題があると判断すれば「非紳士的行為」というジャッジングは当然行われることになる。
プロレスのように考えてみると
「まあ、反則はやめるように指導しているが5カウント以内は認められている」とかいわるので
コレをTCGに当てはめると
「ちょっと位間違っても巻きもどしでいいんじゃない」とか言う話になったり。
ジャッジによっては「同じ5カウント」のはずが明らかにカウントの秒数が違ったり。(苦笑
そう思えば
「ジャッジの間違いを認められない」のは
審判は聖域であり侵される事のない神聖なものと考えるのと似ていると思う。
プロレスにおけるレフェリーなんて
プロレスラーに投げ飛ばされるわ蹴飛ばされるわ、団体によってはプロレスラーに技を仕掛けるわ(笑
そう考えると
TCGってどこまで神聖なものなの?
それに対する考え方ですらTCGのタイトルでまちまちなのに
「これが正しい」という事自体がありえないんじゃないかと。
そう言う意味で
私は
ゲームを始める最初の説明が一番大切という部分に関しては
間違いないなあと思いました。
「この大会はこういう目的に大会なので」という一言のあるなしで変わると。
カジュアルなイベントとトーナメント的な上を目指すイベントとごっちゃに考えるからおかしいのであり
それをキチンと分けて考えないと。
そのためにその心づもりを大会に参加するユーザーにキチンと伝えないといけないんだなあと。
どうも人によっては
「これはこうである」は「こうでなければならない」と読み違えている場合もある。
そうではなく
状況によってルールをキチンと使い分けることが出来る対応こそが
名ジャッジと迷ジャッジの差でもあるでしょう。
でも、私の場合、名ジャッジは迷ジャッジがあるからこその名ジャッジであると考えてます。
ジャッジが完璧に出来るのは理想ではあると思いますが
人間であるからこその失敗はありえるのです。
大相撲で行司は懐に短刀を忍ばせているのですが
なんでかというと勝負で間違えた場合、その刀で自害するためだそうです。
ここ数十年の大相撲で自害した行司がいたでしょうか。
Wiki
「最高格である立行司は、短刀を差している。帯刀を許され拝領した短刀をさし軍配を差し違えてしまった場合には切腹するという決意を示したものという説があり、現在も差し違いを犯してしまった立行司は進退伺いを出すことが慣例となっている。ただし、木村庄之助 (35代)はかつて行司を行っていたのが武士だったことから、帯刀はその名残に過ぎないと説明している」
というくらいでまあ、横綱の出てくるような取り組みで差し違いならば
進退伺いはださにゃあならんでしょうね。
MtGでいえば決勝シングルエリミでの対戦時ということに相当するかな。
もちろんその代わり行司もそれなりにおぜぜをいただかにゃやってられないわけで。
TCGのジャッジってそれくらいのお金を頂いているんですかね?
そう言う意味でも
正直もうちょっとTCGの対戦であまりジャッジに対して「求めすぎる」のもどうかという気持ちもしないでもないなあ。
という考え方もしてました。
ま、思考実験なんで
これが良い方法論とかは考えておりません。
ただ、考え方のひとつじゃないかと。
登録タグ: 雑記
テーマ:日記 | 投稿日時:2012/02/29 05:10 | |
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名前はまだない さん | [2012/02/29 09:58] |
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レフェリーって言うとジョー樋口の印象が強いです。あんなジャッジなら歓迎ですが
言葉を借りるようですがカジュアルの「レフェリー」、トーナメントの「行司」って棲み分けが出来ているのであればそれでいいんじゃないかなと思いますけどね |
とむやんぷ~ さん | [2012/02/29 12:36] |
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まさにそのようなイメージです。
ただ同じ人でもレフェリーも出来て行司もできるというのが理想ではないかという感覚。 ただ、そうなると「ジャッジにどこまでもとめているんや」という批判もありそうです。 となればジャッジに対する報酬が安いのではという話にもなります。 ほぼボランティアですからね。 そこを考えるといろいろと考えなければいけない部分が多いです。 |
とむやんぷ~ さん | [2012/02/29 12:41] |
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でも、実際MtGで高いレベルのジャッジの報酬を知らないのでなんともいえません。レベル2ジャッジの場合は結構さびしいものですから。
GPやPTレベルで変わるのかしら。 |