まずは個人的にはどっちでもいいし、それ以前に両方の立場を認めているということでの話なので
どちらがどうという事では無いと言う事だけはハッキリさせておきます。
まず
「勝つためにデッキを組む」ことはそれでいいことだと思う。
「好きなカードやなかなか使われないカードを使うデッキを組みたい」
それもいいことだと思う。
しかしその考え方はお互いになかなか相容れることは出来ないと思うが
「否定してはいけない事」なのだ。
たかがといってしまうとどちらにも失礼な言い方になってしまうが
人生をかけるというほどのものではない筈。
そもそもが「楽しむ為のもの」ではないかと思う。
実際、学校や会社を休んでまで大会に参加しないだろうし、
食べるものを食い詰めてまでカードを買うわけではないと思う。
各々が出来る範囲で楽しめたらいいことではないかと思うのだが。
でも、なぜか互いに対立する。
双方を認めるわけにはいかないのだろうか。
そんなに難しいことではないはずなのに。
恐らくはお互いが「その行為は許せない!」と言う事をしているのだと思う。
例えば
ネットに掲載されていたガチデッキ。高いシングルカード買いあさって強く仕上がったのに、「そんなガチなデッキ勝てるわけがないじゃん!つまんねえの!」といわれたらそりゃあ萎えるわ。今までの努力は一体・・・と思うわ。
逆に
なかなか使われないカード。こういう使い方もあるんだが?と組んでみたデッキ。「なんだよ、こんなカード入れて勝てるわけないじゃん」と言われたら「このカードが使いたいから組んだんじゃボケェ!」といいたくなるね。
お互いがお互いなんだよ。
ちょっと気をつければいいことなのに。
言い過ぎたと思ったら「ああ、そういうことか。ゴメン。」と一言いうだけでどれだけ変わるだろうか。
今日はその両方について考えたので
ちょっと書かせていただきました。
どっちにしても「相手を見て」口を入れるべきことでしょう。
この2つの件はまるで違うゲームの二組での話です。
片方は
「思い込みによってでた一言だったので謝ったんだけど、許してもらえそうもない」という話
片方は
「ちょっと勝つと鬼の首を取ったように指摘するんで二度と対戦したくない」という話。
どっちもその気持ちはわからない訳じゃない。
でも、一言お互いがどのようなスタンスで遊んでいるのかを見極める事が出来るんじゃないのかという話。
登録タグ:
テーマ:日記 | 投稿日時:2009/04/20 02:14 | |
TCGカテゴリ: | ||
表示範囲:全体 | ||
前のブログへ | 2009年04月のブログ一覧へ ブログ一覧へ |
次のブログへ |
紫麓一奇 さん | [2009/04/20 16:44] |
|
これって難しい問題ですよねぇ… まぁ勝つことが楽しいのは当たり前なので、どちらかといえばネタ・電波の方がいちゃもんつけられやすい気がしてます。 ネタ使う側は、そういう意見をさらりと流せると同時に、負けたのを「ネタだから」と愚痴らないのが最低条件だと思ってます。愚痴るネタ使いは質が悪いので。 |
とむやんぷ~ さん | [2009/04/20 17:25] |
|
>紫麓一奇さま ネタで作ったデッキを「それ見せて」と返事もそこそこに勝手にデッキを見て 「なにこれ!こんなの入れて勝てるわけないじゃん!」 「これとこれとこれ、抜いちゃいなよ!」 「こんなんで大会でるの?馬鹿じゃない?」 といわれた人の身になると 「勝ちにこだわる人のタチの悪さ」というのも見えるのですよ。 ネタ使いの愚痴もその性質によりますね。 粘着質な愚痴は嫌だ。(苦笑 ウチの店に来るネタ使いはさっぱりしていて本当に楽しんでいるのですが 勝ちにこだわる人のほうが「了見が狭く見える」のが気になります。 それでも「お互いを認めて」いればなんの問題もないのですが。 |
紫麓一奇 さん | [2009/04/20 18:11] |
|
勝ちにこだわる人間はそもそもゲームを勝利と敗北の2択でしか見ないので、了見の狭さは前提ですよw 彼らからすれば勝つという前提のアドバイスとしてよかれと思ってる部分もあります。 なので理解できない人間に対しては「いや、ネタだから」と見せるのを断るのも1つの手。 それでもしつこくした挙げ句に「○○抜けよ」って言い出すのは手が付けられないですけれどw |