今日シルバーブリッツの方と話をしていて考えていた事
それぞれの考え方を尊重すること。
例え、一つの流れがあるとしても
全部が全部その流れに乗る必要はないんじゃないかと。
その流れから外れたものを
「異端扱い」するのは簡単だけど
だからといってそれを「悪いこと」と断ずるのはおかしいということ。
たとえばその流れはもしかすると「誰かの誘導」かも知れない。いいように操られている可能性だってあるのだ。
メーカーの言い分や小売店の言い分、お客様だって言いたいことはあるはず。
どれが一番正しいかなんてあるはずがない。
どれが欠けてもいいようにはなりにくい。
「こうする事が正しい」と言う事は
人生の選択に多くはない。
「こうする事が楽だ」
「こうする事が楽しい」
「こうすると儲かる」
逆に
「こうすると大変だ」
「こうするときつくなる」
「こうすると苦しむ」
という事もある
しかし
それがすべてではないのだ。
苦しんで得られるものと
楽をしながらでも得る事の出来るもの
それぞれ結果は同じかもしれないけど
まったく異質のものだ。
コピーデッキと自分の頭で作り上げたデッキが全く同じだったとしよう。
そのデッキを回した時に思い入れがどこまでプレイングにこめられるであろうか。
きっと同じ様なプレイングは出来ないと思う。
よしんば同じ「勝利」という結果を得たとしても
「満足感」は天と地の違いがあるだろう。
リセに関してもコピーデッキが増えていて
大会をしても似たデッキが多くなっているらしい。
ま、ウチのお客様でも「勝ちにこだわる人」「作品にこだわる人」「自分のコンボ・オリジナル性にこだわる人」とタイプがあるけど
それぞれに間違いはない。
正しい事もないけど間違いも無い。
上を目指し「勝つ事」を自らに課している人はそれはそれなりにいいことだ。
間違っていない。
自分のオリジナル性にこだわって今あるコンボをすべて蹴って全く新しいコンボやシナジーを作り上げること。
その意気やとても素晴らしいことだ
全く間違いが無い。
だったら問題ない。
どれも間違っていないなら両方の道筋があれば良いだけだ。
どれも得られるのは「満足」だけなのだ。
逆にいえば「満足できなければ意味がない」のだ。
その方向性が違うのだから互いに
「あれはおかしい」と言うこと自体が一番おかしいのだ。
ただ、その方向性について「自分はその方向性についていけない」というのは「アリ」だ。だって無理してついていっても足がもつれてしまうだけだ。
だったら無理しないほうがいいに決まっている。
それが全てにならなくてもいいわけだ。
「勝ちにこだわらなくてもいい」し「オリジナルデッキにこだわらなくてもいい」のである。
モット自由に遊んでいいんじゃないのか。
という事を思っていたので
いわゆる
「二人の対戦と言うスタンダードな方法ではなく、新しい遊び方を」という提案をしてみた。
例えばチーム戦、例えば4人対戦、例えばコモンデッキ戦などの超限定構築戦。例えば「麻雀・セブンブリッジ」ににた役作りゲーム。たとえば・・・
いろいろある。
それはカードゲームの間口を広げるものでもある。
コレクション以外にも間口を広げる方法はある。
それを否定してはいけない。
それを認めつつ新しい人を呼び込むことが大事だ。
そろそろTCGの世界も第二世代と言っていいんじゃないかな?
もしかすると第三世代かもしれない。
これから先モット長い時間遊ぶことになるかさっさと終わるものなのか
そう肩肘張るようなことではないかも知れないけど
できれば長く遊べるほうがいいと思いませんか?
いままで手に入れたものが無駄にならない為にも。
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テーマ:私的見解 | 投稿日時:2009/01/26 04:16 | |
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