TCGというのは、本当に特殊な遊びで
このシステムを考えて形にしたガーフィールド博士は凄いと思う。
でも、MTGはそこからさらに「もっとこういう風に」というシステムの改良を加えて今の形になった。
そのために幾度も聴きを迎えたし、そしてこれからどうなるかを必死に考えてチャレンジをしている。
運身再編は見たところ強いカードが多いけど
これってどこまでユーザーがついてイkるのかと思ったりもする。
強いカードは同時に同系統のデッキを蔓延させてユーザー離れを起こす場合も今までに何度かあった。
さて、その不安を払しょくできればいいのだけど。
でも、
そういう事も含めてTCGである。
というか
何度も言うけど
TCGにおいて常に全てにおいていい状況というのは奇跡の状況でしかありえない。
ユーザーとショップとメーカーの蜜月状態というのはそう簡単に起こることはない。
いい状況であればその時はその時でどこかで不満はくすぶっているし、万人にとって納得できる状況なんてありはしない。
ましてや、テスト的なカードをいれてみたり、テスト的なルールを試していく段階で
おかしい情キュオができるほな当たり前で、
それなしに「常に同じようなデッキ」がずっと勝ち続けていれば進めていけばいずれ「飽きる」でしょ?
それどころか新しい人は入ってこなくなるし、私のような年寄が幅を利かすしロクなことにはならない。
将棋や囲碁がそういう風になって
「強い人が勝つからクソゲー」とかいう人が出るんでしょ?
だから運要素を増やしているのに
「運要素が強いからクソゲー」とか
どうすればいいの?(笑
要するにそういうのは
「自分だけが気持ち良ければいい」
という事でしょ?
もちろんそれが悪いなんて言わない。
自分の思いを口に出すのはいいことだと思っている。
でも、それによって「もっと良くしていこう」という力をそぐのは
凄く悪い結果しか生まないと思うよ。
せめて「前向きな意見」くらいあっていいんじゃないの?
「あれはクソ」というのは簡単だ。
でもそのうえで
「こうしたらもっと面白くなるのに」
があったら印象も全然変わるのに。
「ヘイトしか書かないネトウヨ・ブサヨ」みたいなのが
たくさん見受けられて正直げんなりする。
自分が正しいと思うのなら
その論拠を示さなければ説得力なんかかけらもないし、感情論で話を進めてもグダグダになるだけ。
たまにはグダるのも手ではあるけど、それは常に理路整然とした流れがあるからこそその隙間に入る感情論が生きる。
確たる理論を通したうえで感情をこっそり入れるならまだしも、感情論を理論でごまかそうとしているのは昭和の革マル学生と何ら変わりがない。
問題とするべきは
「この楽しい遊びをどうしたらもっと長く楽しめるようにできるか」という部分になる。
テレビもプレステも3DSもすたれる中で
アナログなゲームが今でも楽しめているのは凄いことだと思うのだが。
TCGを株のように扱っている人もいるけど
結局それもメーカーがサポートやめたらあっという間に紙くずだよ?
そういうのも楽しみ方の一つではあるけど
折角だからメーカーにとってプラスになるような事をかいたほうがいいと思うのだけどな。
「それなら自分でやったほうがいい」?
まあ、それならそれでもいいや。(笑
それくらい元気なほうがいいや。
でも悪口を書くからには責任とれよ?
登録タグ: 雑記
テーマ:日記 | 投稿日時:2015/01/11 01:25 | |
TCGカテゴリ: その他のカード | ||
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