毎度のことだけど、何で分からないのかなあと思うのが
自分が多数派であることに安心感を抱いている人がなんと多いことか。
というのも
某TCGを遊んでいる人に向かって
「そんなゲームを遊ぶ人は勝手に盛り上がっている」
という旨の発言がみてイラッとしたわけですよ。
確かに内輪だけで盛り上がっている様は離れてみていると苦笑するようなことが多いのは確かだ。
でも、それが法を犯してないのならばそれはそれでほっとけばいいだけの話である。
それが「周辺に悪影響を及ぼしていない限り」は。
逆に言えば「あいつら内輪で盛り上がって気持ち悪い」という人ほど
そういう人同士で「内輪で盛り上がっている」場合が多いのだから。
私自身も30年以上昔にそういうことをしてしまって
今でも非常に情けなく思っている。
大体何故自分を多数派と勘違いするのか?
「世界が狭い」からだ。
自分の見識の狭さに気づいてないのだ。
更に言えばインターネットが普及したことにより
ネット弁慶というか自分に賛同する人が多くいるように錯覚することがある。
私自身もその錯覚に囚われることが多く、
いまだに悩みながら「本当に自分の考えをきちんとつたえられているのか」とこういうことを書いている。
少なくとも少数派である言葉ほど大切にしなければならない。
多数派はそれに合わせればいいが、
でもそれはいつの間にか少数派になってしまうことが世間には腐るほど沢山ある。
たとえば昔は映像や音を残す場合、レコードやビデオ、カセットだった。
それが当たり前だったが
今はどうか。
CDからDVD、状況によってはレコーダーですんでしまうようになって
それらが安ければそっちを使う人が当たり前でそっちが多数派になる。
でもレコードの良さはそれで存在するし
それで聞きたいという人だっているのは確かだ。
同じことをTCGにもいえるんじゃないと思う。
「沢山遊んでいる人が居る」ということは確かに強みでもあるし
それはすばらしいことではある。
でもそれでずっと同じでいられるわけではない。
いつか少数派になるかもしれない。
今、そのデッキが強いからって永遠に強いとは限らない。
だいたいから「皆が」というのは誰と誰のことだ?
誰かがやっているからと安心するのはいいが
それは他人を攻撃する材料ではない。
勘違いして欲しくはないなあと思った次第。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
これは全てにおいて常に肝に銘じなければならない。
永遠不滅不変というものは存在しない。
私も肝に銘じなければと思っている。
たまに忘れてしまうのが人と言うものだけど(苦笑
登録タグ: 雑記
テーマ:日記 | 投稿日時:2014/01/06 21:37 | |
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ko さん | [2014/01/10 18:23] |
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TCGというジャンル自体がマイナーな趣味でありますし、 その中で目糞鼻糞を笑い合っていてもと思いますね。 むしろネットの普及や趣味の多様化で マイナーなものでも胸を張って楽しめるようになったことを喜び尊重すべきですよね。 サポート側、売り手側からすると、こういった視点は特に重要なのでしょうね。 ユーザーの盛り上がりに水を差すサポーターであってはならないですし。 肝に銘じます。 |
とむやんぷ~ さん | [2014/01/13 23:09] |
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私も書きながらキモに命じておりますが ふと、つい「やっちまう」場合もあるので 気をつけたいです。 |