若い子と話をすると
「ああ、私もこんな時期があったなあ」
と思うことが多い。
だからこそ
「あの時こうしておけば」ということがたくさんあって
そういうアドバイスはできる限りしたいと思っている。
でもそのアドバイスをどうするのかまではこちらが感知することではないし
その方の主観に任せるしかなというのは承知しているので
たいていの場合「それはてんちょが特別だから」と言われてしまう。
おそらくね
私が特別ということはないんですよ。
ただ、単に
「そうするしかない」ということだったんだと思うのですよね。
失敗は数多くあるし、その失敗が今の状態にまでしているという感じ。
今でも自分のやっていることが正しいのかどうかもわからない。
ただ、正しいと思ってやっていても
「報われる」かどうかわかったもんじゃないし
正直痛い目にあうことのほうが多い。
よく言うじゃないですか
「正義を行えば世界の半分を怒らせる」と。
私の場合、自分を正義とは思ってないので半分以上怒らせているかもしれないし。(笑
そういうことであれば
私のやっていることは才能とかそういうのではなく
恥知らずなだけかもしれない。
確かにそういう一面もあるけど
結構「つらいなあ」と思っている時もあるんですよ?
なんでこういう話かというと
「てんちょのような考え方は普通はできない」というのです。
それで
「そうかな?」と思った次第。
多分その子は若いから嫌な思いが私より少ないだけかもしれない。
少なくとも私は彼の2倍以上も生きているのだから
嫌な思いは彼よりはおそらくしていると思う。
そういう思いをして得た経験の分だけ
「こうしたらダメ」とか
「こうしたらもっとよくなる」とか
そんな見極めができるようになっているだけなのだと思う。
それが目利きでもあるし、
それって経験とかで自然とついてくるものでもある。
ただ、同じ状況をずっと続けても経験にはならない。
違うことややっていないことをどんどんやっていかないとならない。
それが経験値となるのだ。
ゲームのようにスライムばかり倒しても経験はつめないということだね。
それが積み重なって私が出来ていると思えば
「特別」といえば特別かもしれないけど
それって多くの大人がそうなんだと思う。
いずれ今の若い人たちも
そういう経験を積んでいって「ああ、そういうことか」というのは出てくると思うし。
私だっていまだに「まだまだ知らないことが多いなあ」と思っている。
未だにタブレットを使わないとかスマホをう買わないというのはそういう部分だし
おそらく近いうちに携帯を替える可能性を考えると次はスマホだから
そうなったら嫌が応でもスマホを使わなければならない。
そういうのが経験となるだろうしそうなったらタブレットを使う方がとか思うだろう。
「ガラケーでいいんだけど」
と思うけど
そのままだと多分経験をつめない。
人間関係とかも同じと思う部分がある。
新しい関係を作るのが面倒と思えばガラケーで良いわけでそれが悪いわけではないけど
そういういくつかの「分岐」「フラグ」を進めて戻ることのできないアドベンチャーゲームをしているわけだから
それをくよくよしても始まらないのだ。
もちろん「後悔」するのでくよくよしてないわけではないけど
その「後悔」が次の分岐のフラグを間違えさせない経験値となると思う。
だから「やる」しかない。
と思うのだけど
それって特別なことなんかなあと
思ってしまった。
まあ、特別であっても
人それぞれでいいんじゃないかと。
それが私の個性ということで。
でも、みんながそうしていれば個性でもなんでもなく
「普通のこと」なんだろう。
でもどこまでは普通でどこまでが特別なんだろう?
という話になるんだよね。
キリがないんでテキトーに終了。
登録タグ: 雑記
テーマ:日記 | 投稿日時:2013/01/11 22:55 | |
TCGカテゴリ: | ||
表示範囲:全体 | ||
前のブログへ | 2013年01月のブログ一覧へ ブログ一覧へ |
次のブログへ |