いつも何か煮付けそれを自分に置き換えて
「ならばどうするか」という風なことを考えて行動するように心がけてはいる。
もちろん、できる限りそういう考え方があるということを認識しなければならないと考えているし、自分の考えはもちろんあってもできる限りそれすらも疑ってかかるくらいのことをしなければならないとも思う。
という風に思ってはいるが
正直最近の「正義」の使い方が間違っているような気がする。
いろんなことが正義の名の下に「これは悪い!」と断ずるパターンが多くなってきている気がする。
でも正直なところそういう考え方についていけないことが多々生じてきている。
「本当にその考え方はまちがっていないか」
という部分で考えると
もっと合理的な考え方が存在している場合があって
そのどちらを優先した結果がある種の人には耐えられないのだろうとか考える。
とはいえ、どう考えてもそれは結果であり、更に言えばやり様によって変えられることも可能である。
経済的な部分や世界情勢をないがしろにした論調が特にネット上で多く見受けられる。
それもややヒステリックなイメージが見受けられる。
「自分の課が得ていることは正しい!だからそれ以外は全て敵とみなす」
見たいな感じ。
1980年代アメリカで日本車の台頭により不況が起きたとき
激しいジャパンバッシングが起きたが
それにも似たような感じだろう。
「そんなことはない」という人の気持ちも判らなくはないが
そこで
「他人の気持ち」って考えてみようと思うわけ。
私は色んな人の色んな考え方を尊重するし、逆に言えば私の考え方を尊重していただきたいと思う。
だから少なくとも私がどんなに首をかしげるような論理も「否定」することはしない。
法を犯さない限りその「思想」を持つことは自由だからだ。
何者にも代えがたい素晴らしき自由だ。
しかし「他人の自由を奪う自由」というのはあってはいけない。
それさえきちんとわきまえていただければ
それでいいんじゃないかと思ったり。
「自分が正しい」と思って行動するのは素晴らしいけど
むやみに他人を攻撃していると嫌われますよ?
一番なのは「懐柔」することだと思う。
でもいつも思うのだけど
孫正義氏を悪く言ったり良く言ったりする人がいるけど
その人はどうしたいのだろう。と思うときがある。
他人の意見に流されてばかりで
自分に自信がないのだろうか。
「それが私」
と言われると納得するしかないけど(笑
昔の自分が「流されていたなあ」という部分があったので
わかるんだけどね。
とはいえ、人は変節するので常に同じ考え方を持ち続けることはなかなかできない。
その証拠は今昔の政治家を見れば判ることだ。
私だって、いつ考えを変えてしまうことか。(苦笑
「今の若いモンは・・」というつもりはないが
いずれそういう人も「ああっ!」とか思うときがくるかと思うと
ちょっと笑えたりする。
まあ、私がそういう人間だから全てそうだとは限らないけどね。
少なくとも昔の私はそう思ってたし。(爆
登録タグ: 雑記
テーマ:日記 | 投稿日時:2011/08/08 13:50 | |
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