サブカル展「不快」苦情で中止
というニュースをみた
世間でサブカルとちやほやされていても
保守的な考え方を美徳とする人にとっては「ナニソレ」的なものであるのは間違いない。
なぜ「サブカル」がちやほやされるのかをまったく認識していない。
それは商売なのだ。
商売と一般人の通常の生活は違うモノだ。
故にデパートが「サブカル」についてきちんと認識していれば
一般人が何を言おうとそのまま続けられただろうし
それが出来てなかったからこその中止という判断だったのだろう。
デパート側はきちんと「サブカル」の意味を知っていたのか?
私にはサブカルがどんなものであるか正直判らない部分もある。
普通の美術品でさえきちんと判るわけではないので
当たり前である。
ならば何で判断するか
「その場の空気」もある。
その作品が放つオーラ。
それオーラに対して人が集まる熱気。
これらが作品の良し悪しになる。
それが芸術もしくはゲージツとは異なるオーラがあって、それに集まる人の熱気が違う方向に向いていれば一般人にもそれはなんとなくわかるものなのだろうと思う。
「サブカルという言葉に囚われた若いゲージツ家気取りの集まり」
ととられてしまっても仕方のないことだ。
昔、コミックマーケットが「パクリ」や「著作権」に囚われていた頃の状況が似ているかもしれない。
また古い話だなあ(笑
まだ一般人にはわからないことは多いし、サブカルが急進過ぎて芸術と思われないことは
これは昔から常に言われること。
だれか「これが芸術」といい、それを多くの人が認めて初めて「芸術」は完成する。
そして「モドキ」は常に付きまとう。
結局作家が全てである。
作家にその「神性」ともいえる部分が作品に投影されなければそれは作品にならない。
故に女性の下半身をさらけ出していればいいというものではないし、
アニメ絵の目玉と頭の大きい、そこらのエロ本で見かけるようなロリ女を芸術とするのはおこがましいのである。
それを芸術とするなら浮世絵のレベルまで昇華させなければならない。
アニメーターにもなれないようなパチモノ芸術家を尊敬しているようならまだまだ。
さらに上を目指し、作品を作り上げたときにその作品に神や仏が宿る。
現状某M氏の作品にそのオーラをまとったものをお目にかかったことはない。
彼が行った事は日本のオタク文化のマネジメントである。
そのマネジメント手腕は認めるが作品はアニメの原画マンレベル以下だと思う。
サブカルがまだ「芸術」でない以上デパートのように不特定多数の訪れる場所での展示は不向きであるだろう。
もしそれを承知でやるのならその勇気は認めたい。
個人的にそういうのは好きだし(笑
でも
結局どちらも出来なかった。
このデパートは結局何がしたかったのか。
そう思うと日本はまだまだだよなと思ってしまう。
商売にも芸術でもない
どちらにしろダメダメ。
中途半端にするなら最初からやらなければよかったのだ。
登録タグ: サブカル
テーマ:私的見解 | 投稿日時:2011/02/04 05:06 | |
TCGカテゴリ: | ||
表示範囲:全体 | ||
前のブログへ | 2011年02月のブログ一覧へ ブログ一覧へ |
次のブログへ |