バトルスピリッツの記事を書いたあと
「TCGってこのままでいいのだろうか」という考えをしているうちに
「それ以前にTCGというものにとらわれていないだろうか」という風に考えたわけです。
もちろんこれは自分を含めての話です。
「こういうのがTCGである」という前提が
その最大公約数として
「メーカーがパックを販売している」
「そのカードで遊ぶことが出来る」
ここまでは間違いないと思うのだけど
ここからからなにかいろんな考え方ができる。
「決まったルールが存在する」
決まったルールって?
遊ぶためにはルールが必要だ。でもそれってTCGの可能性を狭めていないだろうか。
とか
「トレードなどでカードを集める」
シングルカードを「トレード」とするならそれもトレードなんだろうけど「販売」と「交換」の違いはなんだろう
でも、メーカー主導で決められたルールにのっとりゲームをすることで楽しむことが出来るのは確かだ。
でもTCGで楽しむってなんだ?
「勝つこと」か?
パックをあけて好きなカードが出てきたら嬉しいということは「楽しみ」ではないのか?
珍しいカードを手に入れるのは「楽しみ」ではないのか?
コナミのゴールドシリーズで
ブリューナクのゴールドがなかなかでない。
たまたま買ったら出た。「嬉しい」
パックをあけることも「楽しみ」ではないか。
しかし、
なかなかでないブリューナク。
8BOXあけても出ない人もいるとか(コナミの営業さんの証言
この場合「苦しみ」にしかならないのか。
しかしパックをあけることの「ドキドキ」があるはずだったのが
「ブリューナクが出て欲しい」というところで
出ないことの残念感で楽しみがなくなってしまっている。
「知っていることで苦しくなる」ということ?
知らなければ「おっ!マシュマロン」で充分嬉しいはずなのに(笑
「ブリューナク」という知識を持ってしまったために楽しみが減ってしまう。
そんなことを考えてしたら
「TCGってなんて深いものだろう」とか考えてしまったのです。
カードの片付けの時ってわけのわからんことを考えているものです。
よくわかんない話でごめんなさい。
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テーマ:日記 | 投稿日時:2009/02/11 20:56 | |
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