最近は自殺の問題やら
政治的な問題やら
でも、おそらくは昔からつねづね言われていた事なんだけど
結局は個の尊重ってのが上手く出来てない部分が
日本の場合大きいんじゃないかと。
もちろん
日本の素晴らしいところはたくさんあるし、それはそれで残したいと思う部分は多いのだけど
悪いと思う部分は直したいよね。
ゲームも面白いような遊べばいいと思う。
「こうしなければならない」というのは
今の日本では意外と少ないんだけどな。
というより
「こうしなければならない部分」に目が行き過ぎて
「もっと自由な部分」に目が行ってないように思えるのです。
いわゆる「洗脳状態」と思っている。
「そこが心地よい場所と思い込む」ことこそが一番怖い。
人はもっといろんなことできるはず。
誰かに嫌な思いをさせない限り
ルールは意外と自由だ。
個人的にはシャカパチも対戦相手が認めているならやってもいいと思っている。
ただ、それをすることで多くの人が嫌がるなら「やめようね」といえばいいし、
それで止められないならそういう対応をするしかない。
貧乏ゆすりとかタバコの分煙みたいなもので。
でも、タバコを吸うから、貧乏ゆすりをするからってその人が「人間としてダメなわけではない」。
ただ価値観があ言いいれないだけであり
そういう人たちを差別したり、悪し様に言うのは
今自分たちが遊んでいるTCGそのものが悪し様に言われてもしょうがないのだ。
つまり
「多数派の常識をマイノリティに押し付けているだけ」
なのだから。
圧倒的な数のソーシャルゲーム愛好者にしてみれば
カードゲームは進撃のバハムートのほうがカードゲームなんですよ。実際そう言われたし。
ソーシャルの人が「TCGやっているなんてなんという資源の無駄」とか言われて
そして「そんなものをやっているなんて人間ではない」とまで言われる覚えはないでしょう。
だからこその「個」は尊重しなければならない。
どんなにマイノリティであろうと
「法律を守り他人に迷惑をかけない」のであればそれは認めてあげないと
いずれ自分にかえってくるだろうと思う。
常識なんて一過性のものだってあるのだから
それに人の個性を無理やり押し込めることはない。
だから他人を認める。
そして
「自分の考え方を押し付けない」
のも大切。
私がこういうことを書く事すら本来は
「洗脳的」であると私は思うんで
だから物の考え方の一つとして
頭の片隅にあればいいと思います。
いろんな考え方があっていいじゃない。
他人に迷惑をかけなければ。
そういう個性がぶつかることで楽しいことや発見は増えると思う。
同じデッキで同じようなプレイングしても面白くないじゃない。
もちろんそれが悪いとは言わないけど
鏡とプレイするより
いろんなデッキとぶつかる方が楽しいと思うということ。
たとえそれが地雷であってもね。
というより「地雷のないTCG」って個人的には面白く感じないんだよな。
ルール的にどこかで欠けていても
カードが手元にある以上ルールすらも人は作って遊べると考えている。
http://duel-mate.com/webcomic/dm5A/06.shtml
こんなんでもいいじゃん。
そうやって発見があったりすると得した気分になるもんだよ。
だからTCGはすごいなあと本気で思っている。
TCGやボードゲームを遊ぶことのできる人たちはそういう意味で多くの一般の人たちより
遊び方の広がりに接しやすいのだから
もっと柔軟に個性を押し出した遊び方をしてみればいいと思う。
そしていろんな人と遊んでみようよ。
また、メーカーに提案してみようよ。
マスターズギルドだったらきっと賛同する人もいるだろうし、逆に厳しい意見も聞けると思う。
それがかなわなくても
ブログなどで提唱してみるのも良いと思う。
そういういいでも今はいい時代なんだから。
まずはそういう「種まき」しましょうよ。
みんなで。
きっともっとTCGは面白くなると思いますよ。
登録タグ: 雑記
テーマ:日記 | 投稿日時:2013/01/16 15:25 | |
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