本来ならココのブログに書くことではないのだけど
ちょっと大声を張り上げたくなったので
最近のニュースで
「放射能差別」「放射線差別」
があることを知ったのですが
そのニュースに怒りを覚えながら、
いつもの思考実験を行ってみたのです。
「じゃあ、いま、原発で作業している人たちに対して差別派はどういう風に思うのだろうか。」
恐ろしいことを考えてしまった。
同じように
パイロットや飛行機の客室乗務員は?
http://npo.fuji3776.net/document/20100124seika/201...
の通り高所で作業するひとは海抜0mで生活する人より宇宙線による中性子被曝が100倍以上とされている。
飛行機に乗ると
成田―ニューヨークは今月、往復で0.17ミリシーベルト
引用
http://blog.goo.ne.jp/boeing777-346er/e/609c401815...
さらにいえば宇宙ステーションで活動した場合
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/gijyutu...
では
放射線と放射能が違うものであるから
放射能を体内に取り込んだための体内被曝しているとしよう。
広島や長崎の人はそれで長く苦しんだとされる。
じゃ、国はそのときに彼らの移動を制限したか?
広島や長崎で被曝(被爆)した人にお会いしたことはなかったか?
そういう風に考えてみる。
モチロンこうやって書いていても
「バイアスがかかっているなあ」と自分でも思ってしまう。(汗
でも、正直なところ
不安を持つ人の気持ちが判らないわけでもない。
出来れば自分の、自分の仲間に害が及ばない方がいいと考えるだろう。
その思う気持ちは判るが
放射能汚染に関してはすでに
「やっちまったこと」
なのでそのリスクは現実になってしまった。
それは原子力開発に少しでも携わった、あるいは見逃してしまった日本国民に対する罰なのかもしれない。
差別するのはいいが
逆に外国人から見れば
「日本そのものが汚染されている」だから
「日本そのものを差別する」恐れもある。
つまり日本にいる以上
「日本人そのものが差別の対象」とされている可能性がある。
いま、福島の人を差別する人は
外国人から「差別されても仕方ない」と考えているのだろうかと。
そういう風に思えてきた。
差別する人の考えは
「自分はそうならない」
「自分は違う」
という風に思いがちなのか、あるいは
自己防衛本能がそうさせるのか
それはその人になってみなければわからないけど
判らないものに対する「畏怖」に対しては共感はする。
しかし放射能や放射性物質に対する汚染は
原子力開発が始まった第二次世界大戦以降普通に存在しているし
「今更」なことだと思っている自分にしてみると
日本という国の中で差別する理由が
まったく判らない。
閑話
いずれ人類が宇宙に出て月にでもステーション・基地を作ったら
周りは宇宙線にさらされた物質だらけになるよなあ。
いくら除染しても無理。
その中で人が住めるのか?
その周辺で生きていくことが出来るのか?
でも、そうやって宇宙に出て行かなければ駄目なような気もする
逆に「増えた人間を減らして管理したほうが早い」というようなギレン総統のような考え方も出来ると思う。
閑話休題
とりあえず私は
現状の日本において
放射線差別はナンセンスであるのは間違いないと
結論付けるが
ある意味
いままで多くのアニメを見ていた人は
「終末系アニメの世界が現実になった」という認識をもっていれば
「自分のとるべき道筋」が判るんじゃないかなあと思った次第。
登録タグ: 雑記
テーマ:日記 | 投稿日時:2011/04/21 06:03 | |
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