タイトルは私の持論。
誰かが似たようなことを言っているのかもしれないけど、とりあえず私の言葉にしておこう(ぁ
全く同じ時間と言うものは無く、全く同じ風景と言うものは二度とめぐり合うことが出来ない。
「写真」をみることで当時の風景を見ることが出来るけれども、写真の中に閉じ込められた時間には、もうめぐり合うことが出来ません。
毎日が同じ繰り返しの行動のようであっても、その行動は昨日とは全く違う。
同じ「登校」でも、歩くスピードが違うし、その途中で出会う人も違うかもしれない。
同じ「授業」でも、昨日とは全く違う授業であるし、周囲の環境も違ってくる。
もし今日が誕生日だとしても、しばらくすると「日常」として記憶に刻まれる。
同じ行動、同じ時間、同じ環境が無い故に、毎日人は「違うこと」をしているのです。
毎日が「違うこと」の故に、それが「毎日同じことをしている」と錯覚してしまいます。
自分にとって大きな出来事があったとしても、他人から見ればそれは大きな出来事ではないかもしれません。
例えばニュースで殺人事件が取り上げられたとしても、他の人から見ればそれは「一つのニュース」と捕らえられるかもしれませんし、「一つの出来事」でしか見られないかもしれません。
日常というのは「一つの出来事」の積み重ねで出来ています。
毎日同じことの繰り返しでつまらないと「錯覚」しているひとが居るかもしれませんが、明日は今日と違うことを必ずやっている。
だから人生は面白い。私はそう思います。
ミクシィにも同じ内容の日記を書きました。手抜きです。(ぁ
――――――――――PressRelease―――――――――
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人間はいろんなものを作っています。
私達化学者だと化合物という「もの」を。
農家の人達は野菜やお米を。これも一つの「もの」といえるでしょう。
大スケールになると家や橋などの建築物、これも一つの「もの」です。
人々が生活するには「もの」が必要です。そして「ものを作る事」が必要です。
私達は意識していないかもしれませんが、何らかの「もの」を作りながら生きているのです。
趣味の世界だと一番分かりやすい例が「プラモデル」でしょう。私達の世代はミニ四駆でしたが。
さまざまな形をしたパーツを説明書どおりに組み立てる。
全然形が不明なものが徐々に出来上がり、一つの形になっていく。
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テーマ:落書き | 投稿日時:2006/11/22 00:38 | |
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