TCG四方山話

長らく凍結していたアカウントをドレノ考察用に復活?
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TCGの構造上の欠陥?

更に続きです。

今回から、ムノーさんの日記レスだけでなく、とむやんぷ~さんの日記レスも内容的に含んでいきたいと思ってます。


以下、本文

================================

えー、色々書いてあるのですが要点整理。

ムノーさんの記事
http://tocage.jp/blog/568/1257409672.html

・TCGは、現代の社会潮流(資本主義経済)の流れに沿って生まれたモノではあるが、その後の現在に至る新たな潮流(環境共生・世界的不況)の中では主流として広く一般に受け入れられ難い性質を有している。
(特に、その変化性に起因する資産の有無による格差性は、現在の世相と間逆)

・TCGの持つ格差性を埋めるには、レアリティ制度を廃するべき。


とむやんぷ~さんの記事
http://tocage.jp/blog/351/1257535333.html
http://tocage.jp/blog/351/1257336534.html

・TCGを風営法の規制対象とはしたくない。しかし、今後そうならないとも限らない。

・TCGの問題点:「メーカーが提供する環境の変化」という性質により、ユーザが遊びの工夫をしなくなった。


簡単にまとめるとこういうことでしたでしょうか?



それではまず1点目。
他のアナログゲームはどんな社会潮流の中から生まれ、現在の位置を確立してきたのでしょう。
個別には、それぞれ違う事情があり、時には大きく迎えられ、時には不遇の時を過ごしつつ、現在を迎えているものと思います。

しかし、そうした個別の事情を経て今に永らえているその最大の理由は、時流にあっていた、とか、思想的に受け入れられた、ではなく、おそらく、「それを好きな人がいたから」が答えのような気がします。


個人的には、何がメジャーで何がマイナーなのか、趣味の世界において論じる事の意味合いがあまり価値をもっていないのです。

先述の通り、人は自分の興味の向いた事だけをするんです。
だから、何も「猫も杓子も」的に皆が流行に乗って同じ趣味に没頭するかどうかなんて事はあまり考えた事はないです。

そういうブームってのは、大概一過性で終わり(古くは、めんこ、フラフープ、ヨーヨー、キン消し、チョロQ、ミニ四駆・・・)、その状態が継続して文化の体を為す事はおよそない(その後、一部の愛好家が残り文化を形成する事はあっても)のです。

確かに、アナログゲームの大先輩、囲碁将棋、トランプ、麻雀の類まで来ると、その歴史的な背景もあって、人生一度は誰もが嗜み程度には触ることがあるでしょう。
それとて、本格的に趣味としてやりこんでいるのは、確実に一部の人間に限られている事実のとおりです。
(プロ化しているのも要素としてありますが、あくまで趣味レベルのお話に留めます。)


なので、流行り廃りはあれども、やはり何時の時代もどこかには熱狂的な愛好家というものはいるもので、確かにその浮沈には時代の潮流などの影響も有ろうとは思いますが、それは個人がTCGを趣味として選択する際の一つの外部要因に過ぎず、TCGの本質に即した問題ではない(というかTCGだけに固有の問題ではない)と思います。


以上から、変化性を有したTCGは、資産格差からの差別を生みやすい、従ってメジャーの潮流には乗れない、という理屈に対しては、別にメジャー化する必要はこれっぽっちもないです、という結論になろうかと思います。

資産格差が問題だと言うなら、アナログゲーム以外の趣味において、幾らでも発生している事実があるからです。

裏返せば、それこそが今までアナログゲームがマイナーな存在に甘んじていた原因とも言えます。

つまり、コンポーネント型であるが故、数を必要としないため、市場性が脆弱であり、企業による資本の投下が行われてこなかったという事です。

過去の経緯はご存知の通りなので省きますが、TCGによって、アナログゲームの世界にも、市場性の原理が強調されるようになり、結果、以前に比して大幅にインフラ整備が成長して来ました。

専門ショップは増え、アクセサリツールも普及し、メーカによる大会の開催もはるかに充足しています。

この事実は、TCGの大きな功績であると思います。

一方、TRPGは、ネットを介したオンライン化の道から遂げた進化により、再びTCGによって対人性の魅力を知った次世代によって次の発展を遂げようとしています。

また、アナログゲームの祖とも言えるボードゲーム、コンポーネント型カードゲームにも注目が集まり、TCGによって為しえたコミュニティがその次のステップとして選択するようになって来ています。

こうした業界活性化の流れの起爆剤となった功績は間違いないものだと思います。

そしてこの功績を生む元となったのはあくまでその投資性です。
TCGの本質が、資本投下と資金回収が可能とみなされるだけの市場性を持ち得るシステムだったからこそなのです。



ここから2点目の話になって行くのですが、こうした事情を踏まえれば、レアリティを廃するメリット・デメリットが何処にどのようにおありか、おのずと見えてくるのではないでしょうか。

あえて書き上げますが、レアリティがなくなれば、当然消費者の購入量は激減します。

当たり前ですよね。原則同じカードはそのゲームに必要な規定枚数(レンストで言えば3枚)あれば、それ以上はなくても構わないのですから。
いくらデッキを100個作ろうと考えるにしても、それは同じことです。
全てのカードが等しい確率で手に入るのでしたら、投資額は今の何分の一、何十分の一で済むのですから。

となれば、メーカがすることは、パックの単価を上げること?
そんなことをしたら今まで以上に敷居が高くなりますよね。
今は少なくとも、単価は安いので、ゲームそのものをやるだけなら比較的安価に始められる事は周知の通りです。

現在の価格据置?
そんなことをしたら、全く商売にならなくなります。
資金回収がままならなくなれば、潮が引くかのごとく業界から資本が撤収ことするでしょう。


しかし、それより何よりもっと大切な事があります。
それはTCGの本質と密接な関係が有るものです。

具体的な例をあげて説明しますと、モンコレ1の時代(1998年)、一番最初に発売された拡張セット「古代帝国の遺産」では、「ごく稀」(他ゲームで言うと頃のSR。定価6,000円のボックスに5枚しか封入されていない)が廃されました。

この結果、ユーザは喜んだ、かのように見えましたが、結果は逆でした。

ごく稀がないので、購入意欲がわかない、結果沢山買わないので、基本スペックのカードが足らない。
しかし、高額レアが無いのでお店はシングルをしてくれない。各個人の購入量も少ないのでトレードも活発化しない。
欲しくもないパックを買うハメになる、若しくは大量に売れ残る。

全く誰得です。

実は当時、このボックスにはプロモーションカードをつけてまで売ろうとしましたが、結果は惨憺たるモノに。

今でもモンコレユーザの間では、デザイナーさんの「カレーも買ってな」(ボックス及びパックのカラーが黄色かった)という科白が語り草になっているくらいです。


ごく稀がなかったことで起こったこの現象を受けて、モンコレは以後、急激にレアリティ戦術を強化することになりました。
この反動を考えると、本当に要らない措置だったと思います。
しかし、これも国産TCG黎明期に起きた一つの通過するべき事件だったと思えば、こうした過程を経て成長してきたのだと言う証とも取れますけどね。


とはいえ、近年レンストにおいても、似たような事が8弾の時に起きています。
未だかつてないSRの封入率の良さで、大量に不良在庫を生んでしまいました。


ここから見出せる結論ですが、要は、一番大事なことは

「手に入りやすいものは、誰も欲しがらない」

ということ。

・みんなが欲しがっているから欲しがる気持ち。
・価値がある(と共通認識されている)ものを手に入れられると言う喜び。

こうした言わば人間の欲求にダイレクトに訴求するというTCGの暗部?(おそらくとむやんぷ~さんの危惧する部分(風営法云々)はこの辺りに起因しているのではないかと勝手に推測)があるから成り立っている市場性に支えられている、という点を踏まえないと、話の根底が成り立たないと思っています。



最後にまとめ?らしきもの。目線を変えると違った見方も。


先の記事でも、高額レアが存在する事で、パックを開封する事そのものの期待感が高まる。
このことがTCGに固有の強力な魅力であり、罪でもあると書きました。

しかし、このことこそが、TCGをして商品ならしめている最大の要素であり、そうでなければ、一体誰が只の紙切れに大枚を叩こうとするものでしょうか。

ここまでは既に述べてきたとおりです。


ここで発想を転換すると、本来価値の高く無いもの(=紙)に高い付加価値を付け、市場性を高めたと言うことは、考えようによっては環境的な側面を持ちえているとも言えたりします。

つまり、収益の社会還元ですね。
具体的には、売上の何%は、使用した紙を生産した森林を補うよう、植林・森林保全のために使います、とかいうこと。

マイアースを作った会社くらいそういう事を言っても良かったのではないかと思いますがw

特に昨今はCSR(企業の社会的責任)と言うことも叫ばれている時勢ですので、何処か本気でこういうこと言わないのかな?とも思ってみたりします。



長くなりましたので、とむやんぷ~さんからの課題についてはまたの機会に譲りたいと思います。

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テーマ:日記投稿日時:2009/11/07 11:58
TCGカテゴリ:
表示範囲:全体
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