【メモメモ】
(自分が一番好きなトーナメント環境がSストラクチャー限定構築戦とベストスタート限定構築戦なこともあり)近年のカードパワーの総底上げ・インフレ化は余り好ましくないと思っていたけども、D-0が「シナジー効率強化により」パワーゲーム化するのは、ゲームシステムを鑑みての展開とすればあながち順当という感じがしてきている。以下極論で話を進めていく。
--非D-0ユーザのための解説--
D-0にはプランというナカナカ思い切ったルールをシステム段階で内包している:これは自分のターンに1マナ支払うことで山札トップを表向きにし、手札のカードと同じように使用できるというもの。何がめくれるかは運次第だが、気に入らなければ再度1マナ支払ってめくりなおすことができる。もし運良く使えるカードがめくれれば、手札を使うことなくカードを展開できる。「序盤速攻をしのぎきられて手札ゼロ、後半はいつもコントロール相手にサンドバックだよ~*1びえーん」って悲しいゲームにならないんです。面白いシステムです。みんなもD-0しようね。
--解説 ココマデ--
そしてD-0では、まさしくこのプランがアドバンテージに直結するために、「手札からの能動的なカード使用」よりも「プランによる受動的なカード使用」の方が多くなることも珍しくない。(これはTCGとしてはかなり異質なプレイ感覚だ)。
そして、TCGにおけるカード使用の基本姿勢が受動的になるとどういうことがそのゲームで起こるのか? それは(TCGでありながら)狙ってシナジーを成立させることが難しくなるのである。これは発展していくと、「TCGでありながら」ビルディング要素が希釈されるという部分にまで話が進む。「コンボ用カード」であっても、「プランで受動的にめくれた場合にも最低限仕事するカード」でなければ、デッキに入れても使用に耐えない、それだけプランというシステムが強い。
「(単体のカードパワーがそこまででもないカード同士での)シナジー、夢コンボ」というのは、どのTCGでもなかなか成立しにくいものであるが、ことD-0に至ってはそれがかなり先鋭化されているということになる。D-0プレイヤーなら誰しも《サンバースト・エンジェル》デッキを組んだことがあると思う。みんななら分かってくれるよね。
さて、プラン、すなわちカードの受動的使用によるアドが強力なためにシナジーの成立精度が低まるのは、それが競技性を指向していた頃ならまだ「それがD-0というゲームの性質だ」と言う事も出来た。だが競技TCGとしての性質維持が困難になり、ライトユーザ獲得を指向していかなければならなくなると、「コンボ」というTCGならではのダイナミズムはどうしても外せなくなる。
プラン独裁のゲームの中で「コンボ用カード」をデザインするためには、
1.(前述のように)「単体で使用に耐えうるカードパワーにする(かつコンボ成立時の威力も捨てない)」
または
2.「コンボ成立時の効果を劇的にする(=安定性を捨ててでも爆発力を目指す)」
というような選択肢を(意識的にせよ無意識的にせよ)選ばざるをえない(そして、その両方を運良く/運悪く選ばれたカードたちが、トーナメント環境を席巻していったのである)。
D-0のカードパワーインフレは「ライトユーザ獲得のためのパワーゲーム(シナジーゲーム)化」そういう意図もあるだろうが、その裏にはこういうシステムに根付いた要因も少なからずあったのではと最近では思いつつある(もちろん、単純に「強いカード=売れる」っていう販促意図、「強いカードに対抗するためのイタチゴッコ」的側面も無視してはならないだろうけど)。
それにしても(プランの存在のために)エネルギー使用量がそのままアドバンテージに直結するD-0というゲームでは、「コストを軽減するシステム」つまり補給や急襲というシステムはもう少し慎重にデザインされるべきではなかったのか? という思いが強い。
「コストを軽減/踏み倒すシステム」というのはだいたいどのゲームでもバランスを取りにくいもんである。MTGを見れば分かる。MoMAやら親和やらでやらかした後、その蓄積があってなお「続唱でやらかして」るのである。DMもキリコが同様に現在進行形である。いわんやエネルギー使用量がそのままアドバンテージに直結するD-0をや。
そんなリスキーなシステムをキーワードにして良いのか、センチュリーを通してフィーチャーしてもゲーム環境は維持できるのか? もっと慎重に議論が必要だったと思う。
登録タグ: ディメンション・ゼロ コラム
テーマ:日記 | 投稿日時:2010/03/04 20:54 | |
TCGカテゴリ: ディメンション・ゼロ | ||
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