国内TCGにいちゃもん

はてなブログではMTGのゲームデザイン論について語ってます。
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【TCG全般】TCGは戦術のゲームから戦略のゲームになっていく

 

最近のMtG、具体的にいうと新世界秩序が導入されてからの
MtGのデザインの方向性をみて思ったことがあるのです。




■新世界秩序って?


新世界秩序のくわしい解説は公式のコラムにあります。
http://mtg-jp.com/reading/translated/004155/


ざっと噛み砕いて説明すると、新世界秩序とは
TCGにおいて「複雑さ」というのは許容量のあるリソースである
という考え方のことです。

ひとつのTCGが抱えられる「複雑さ」には限界がある、
という意味です。


というのも、
TCGというのはすでにひとつのゲームとして成り立っているものを土台に、
さらに新しいルールをどんどん付けたしていく無限拡張のゲームだからです。
拡張セットを重ねれば重ねるほど、
1枚のカードに与えられる効果もどんどん複雑になっていきます。


そしてTCGはデジタルゲームとちがって、
ガイドの案内にしたがって段階的にゲームの操作を覚えていく、
ステージ1から順番にクリアして能力をひとつずつ覚えていく、
そういうていねいなレベルデザインができません。

(WotC社の市場調査には、
MtGの新規参入者はスターターと拡張セットをほとんど区別しないで買う
というレポートまでありました)



つまりカードを提供する側が意識して複雑さをコントロールしないかぎり、
TCGは天井知らずに複雑さを増やしつづけ、
新規参入の敷居をどんどん引き上げてかならず先細りしていく。
TCGとは必然的にそういう自滅の宿命を負ったゲーム形態なわけですね。



■レアリティによって初心者と熟練者を棲み分ける


際限なく膨張しつづけるTCGでは、
複雑さを有限のリソースとして管理しなければ
参入障壁がどこまでも高くなってしまう。

この問題に対してMtGがとった解決策は、
複雑さをレアリティに応じて配分するというものでした。


初心者のほとんどが、はじめのうちは
コモンを基本としたカードプールでゲームを体験するはず。
なのでコモンからは複雑なカードをほとんど取りのぞき、
バニラやテキストの少ないカードを常に入れてうんと敷居を下げる。

逆にヘビーゲーマーは、今のゲームが物足りないと思ったら
レアリティに関係なく自分から複雑なカードにアクセスしていくはず。
だから高位のレアリティのカードは複雑なままにする。


初心者がもっとも多く触れるコモンから
複雑な効果や直感的でないカードを減らし、
上級者のためのテクニカルなカードはより高位のレアリティにうつす。
レアリティによって初心者と熟練プレイヤーの棲み分けられるようにする、
というわけです。


つまり、新世界秩序とは
TCGでは困難なレベルデザインをレアリティによって実現しようとする試み
だといえるわけですね。




■熟練者のプレイヤースキルはどこで発揮するのか


こうして初心者向けにコモンが
大幅に簡略化・シンプル化されたわけですが、
これには別の問題もありました。



MtGではその場で開けたカードでデッキを組んで戦う
「リミテッド」という対戦形式があり、
リミテッド戦では一番封入枚数の多いコモンが対戦の主軸になるのです。

コモンが初心者向けのシンプルなカードばかりに置き換えられてしまうことは、
このリミテッド対戦が確実にゆとり化、単純化するだろうことを意味します。

リミテッド戦は特にヘビーユーザーに人気の形式でしたから、
熟練ユーザーの切り捨てにつながるような転換には懸念の声もありました。

「俺たちはF1が好きでこのゲームやってたのに
 これからはゴーカートで遊ばなきゃいけないの?」ってな感じです。



で……このリミテッドのゆとり化問題にたいして、
MtG開発部が行った解決策がとてもおもしろいのです。

なにをしたかというと、
カード1枚1枚の効果は新規参入者のために単純化するかわりに、
その単純なカードどうしの「適切な組み合わせ方」、
デッキ構築という「文脈」のほうを濃密かつ多様化したわけです。


どういうことかというと、
カードセット全体のテーマが決まって
これからリミテッド用のコモンカードをデザインしていくぞってときに、
まずこの環境で作れる代表的なデッキの原型(アーキタイプといいます)を
10個ぐらい考えるんですね。


そのうえで、カード1枚1枚にたいして、印刷される効果だけでなく
「このカードはこれらのアーキタイプの中でどのような役割を持つか」、
そういう環境全体での立ち位置までふくめてデザインするようにした。


そうすることで、カード1枚1枚に
それ自身が持っている効果とはまったく別の、
環境における「文脈」のようなものが生まれるようにしたんです。



1枚1枚は初心者のために単純化されたプレーンなカードのあつまりでしかないんだけど、
環境全体を把握している人にだけは、
そのカードがこの環境のどんなアーキタイプでどんな役割を負っているのか、
というテキストに書かれていない文脈まで読み抜けたりする。


たとえば2マナでなんの能力もなく、
普通に使うぶんには一体なんの役に立つのか分からないザコゾンビが、
この環境でもっとも2マナ域が枯渇している
青黒というアーキタイプ(文脈)を組もうとするときにだけ、
一気に価値がはねあがったりする。


たとえば3マナ2/3バニラと4マナ2/4バニラ、おなじ能力なしでも
この環境のアーキタイプを理解している人には
その微妙な違いの意図を理解したうえで
デッキに必要な1枚かどうかを見極めることができたりする。


カードをパズルのピースのようなものだとすると、
アーキタイプは見えないパズルの額縁みたいなものです。


配られたバラバラのパズルの意図をきちんと理解して、
うまく集めてつなぎあわせることができる人には
とても美しいデッキができるように設計されている。


つまり、MtGはプレイヤースキルが反映される領域を
複雑なカードをいかにうまく使って対戦に勝つか(単体ゲームの巧拙)ではなく、
環境をいかに理解しどれだけ上手に構築できるか(全体メタゲームの理解力)
へとスライドさせたといえるわけです。


1枚のカード、1回の試合といったミクロな視点でのゲーム環境は
初心者のためになるべくシンプルにするかわりに、
全体のカードプール、全体の環境読解といったマクロな視点でのゲーム環境
熟練者のために濃密かつ奥深くなるように、複雑さを転換したのです。





■初心者には見えないレイヤーでやりこんでもらう


この例のすばらしいところは、初心者にはコモンカードの1枚1枚が
複雑なパズルのピースであることに一切気がつかないということなんです。
カードはどれも1枚で完結しているようにしか映らないし、
そもそもパズルの額縁があることさえわからない。
熟練者だけがカードに書かれていない隠されたパズルを楽しむことができる。

つまり初心者には見えない複雑さ、上級者だけが複雑さを感じられる領域、
そういうのがあるわけです。熟練度に応じたレイヤーがある。


そう考えると、対戦は初心者も上級者もひとしく体験する、
いわばTCGの入り口にあたる基本レイヤーだといえます。
だからMtGでは対戦中に生じる複雑さを可能なかぎり取りのぞこうとしている。


一方で構築や環境の読解といったメタゲームの複雑さは、
上級者のみが体感できる、深層のレイヤーにある複雑さです。
初心者には見えない(存在さえ知りえない)領域にある複雑さは、
その存在が参入障壁にならない
わけです。


ようするに同じゲームをやっているように見えても、
熟練プレイヤーは初心者よりもっと広い領域、
より高位のレイヤーからゲームに参加している。


そう考えると、
熟練ユーザーのプレイヤースキルが反映される機会は、
別にゲームの中心になくてもよい
と考えることができます。

初心者の参入障壁にならないように、
ゲームの外縁にやりこみ要素を作ってしまっていいわけです。



というわけで新世界秩序とは、
プレイヤースキルが反映される領域の比重を、
初心者の参入障壁となりうる中心部分から
上級者だけが感知できる外縁部分にスライドさせる試みだともいえます。




■TCGは戦術から戦略のゲームへ


無限拡張しつづけるTCGはレベルデザインが困難なゲーム形態である、
という問題はあらゆるTCGに普遍の問題でもあります。

MtGのレベルデザインをめぐるこのような取り組みは、
ほかのTCGにも広がっていくんじゃないかなーと自分は思います。


つまり対戦は初心者でも簡単にできるシンプルなものに純化していき、
かわりに構築や環境といったメタゲームの領域を深くすることで、
そのゲームのやりこみ性を担保して上級者をとらえる。


このようにTCGは
戦術(対戦)から戦略(構築や環境読解)のゲームに変わっていくのではないか、
と自分は思うのです。




■対戦ゼロのデジタルカードゲーム


この「戦術から戦略へ」のTCGのひとつの極北として、
C-1やファイブクロスのようなデジタルカードゲームがあるのだと思います。

つまり対戦ゼロのカードゲーム。もはや対戦にはプレイヤーが参加する必要さえない。
環境読解から構築までがプレイヤーの技術介入できるすべて、というカードゲーム。
戦術ゼロで戦略がすべてのカードゲームです。


一部のTCGゲーマーには
こういう対戦ゼロのカードゲームはなかなか理解されにくいですが、
これまでの流れを考えれば、自分はこういうTCGもありだよなーと思います。



ほかのゲームにはないTCGだけの独自性はなにかを考えると、
やっぱり対戦よりも構築を強調するべきで、
これからのTCGがより構築に比重を置いたゲームを指向していくのは、
とても自然なことなんじゃないかなーと思います。




■まとめると……


・近年、MtGでは新世界秩序というデザイン原則が提唱されている。
 新世界秩序とは、レベルデザインが困難なTCGにおいて
 「複雑さ」というのは許容量のあるリソースである、とする考え方を指す。

・以降、MtGでは
 初心者がもっとも多く触れるコモンから複雑なカードをとりのぞき、
 レアリティによって初心者と熟練者が住み分けられるようにした。

 また、コモンを単純化したことでリミテッド戦が簡素化しないよう、
 かわりにリミテッドではアーキタイプの分化によって難易度が補填された。



・新世界秩序とは、プレイヤースキルが反映される領域の比重を
 初心者の参入障壁になりうる対戦のレイヤーから、
 上級者のみが感知できるメタゲームのレイヤーにうつしかえる試みでもある。



・このようなMtGのレベルデザインに関する取りくみは、
 他のあらゆるTCGにも普遍的な問題であり、広く伝播していくはず。

 つまり対戦は初心者のために簡単にできるシンプルなものに純化していき、
 かわりに構築や環境の領域を深くすることでそのゲームのやりこみ性を担保する。


・つまりTCGは「戦術(対戦)から戦略(構築や環境読解)のゲーム」に変わっていく。
 初心者のために対戦は浅く広くひらかれ、
 かわりにそれをとりまく環境が上級者のために濃密にデザインされる。



・この「対戦から構築・環境理解のゲームへ」のひとつの極北にあるのが、
 C-1やファイブクロスのようなデジタルカードゲームなのではないか。
 対戦はもはや自動ですませてもよい。対戦ゼロで構築が終点のカードゲーム。




そんな感じです。
認識違いなどありましたらご指摘ください。

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テーマ:TCGシステム論投稿日時:2013/12/19 20:12
TCGカテゴリ: Magic: The Gathering  
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現在“3件”のコメントがあります。
でゅえるひよっこ Miyu さん [2013/12/28 03:29]
はじめまして。
マジックを中心に国産TCGもちょろちょろ遊んでいる者です。

ちょっと読解力に難があるかもしれないので、見当違いの事を言っていたらすみません。

マジックのメタゲームと言う物が上級者向けのまた違ったゲームである、と言う事は常々感じていて、週ごとにころころ変わるメタの変遷とかを見ていると非常に面白いなあ、なぞと思っています。

リミテッド(特にドラフト)のアーキタイプの存在も、理解しております。とは言え、自分はリミテッドが達者な方ではないので、なかなかアーキタイプの通りにピックしたりする事が出来ずに、精々がマナカーブを揃える為に「熊だけどこのカード入れるかー」とか思ったりする程度ですが・・・。

とは言え、他の(アナログの)TCGでそれがメタゲームやリミテッドの様な初心者と上級者が違うレイヤーの上で戦うTCGがスタンダードになるかと言われれば、暫くはならないんじゃないかと思います。

そう考える理由は幾つかありますが、一つとしては国産のTCGはキャラゲーやなりきりゲーが多い事が挙げられます。そう言ったゲームに於いてはまず初心者向けの施策が第一に行われるべきと言う考えが念頭にあって、上級者の事までに気が回っていないのではないかと思えるのです。何処の何とは言いませんがあるキャラ物TCGはバランスが破綻しているなんて話も聞きますし、例えばヴァンガードなんかだとTCGの入り口としての存在であって、それで難しいTCGがやりたくなったならば他のTCGに行ってくれって事なのではないかと思うのです。

そうでないTCGも、正直な所WotC程の意思統一と人と金はかけられないのではないかと思います。新規TCGならばまだしもスタン落ちをするつもりの無さそうな既存TCGなんかだと今からメタを「くるくると」回せる様な状況にする事は非常に難しいでしょうし、MtGのリミテッドに於けるアーキタイプ毎のカードの配置なんてのも相当計算され尽くしていた上にテストプレイを重ねた結果の物だと思われます。

でもまあ、D-0のI-1の時なんかのメタゲームは結構綺麗だった(遊びが足りないなんて言う人もいましたが)ので、今後もしガチなTCGが出るのだとしたら少し期待はします。ただ、ガチなゲームは日本では余り受けないと言う頭になっている人が多そうなので、出るのかなあって気もします。そう言う意味で、ラスクロはどうなんですかね。構築環境もリミテッド環境も知らないので、上手く行っているのかが分からないのですが・・・。

構築に比重を置いたゲームと言うとヴィクトリースパークなんかはそうだと言う話を良く聞きますが、ファイブクロスはそれをもっと推し進めた感じなんですかね。でも、構築オンリーのゲームにするとTCG初心者が逆に困るんじゃないでしょうか。対戦って一番ゲームをやった気になれる所なので、そこを飛ばしてしまうとなあ、って感じはします。それとも、デジタルTCGで育った世代にはそれが当たり前になったりするのでしょうか・・・。
萌えアルド I love TCG さん [2014/01/02 22:11]
コメントありがとうございます。

自分もいちおう、D-0プレイヤーのはしくれでしたので、
Miyuさんのお名前はとてもよく知っております。

自分的にはMiyuさんはD-0界のアルファブロガー、
半分公式の人という感じでしたので、
そういう方からこのようなコメントをもらうのは
不思議というかびっくり光栄であります。


いただいた指摘を拙筆ながら自分なりに要約させていただくと、


・「1つのゲームに異なるレイヤーの遊びを作ることでユーザーを分化する」、
 新世界秩序のようなレベルデザインはTCGの主流にはならないのではないか。

 なぜなら国産TCGのおおくがライトユーザーのためのなりきりゲーに特化しており、
 MtGのように環境デザインのためのコストをかけられないから。

・なりきりゲーに物足りないスパイク(戦略的やりこみゲーマー)には、
 上級者向けのガチTCGを別に用意することで分化しているのではないか。

・でもガチなTCGは日本では出にくそう。

・対戦はゲーム性をいちばん直接的に受け取れる部分なので、
 そこを飛ばしてしまうデジタルTCGは初心者が困るのではないか。


ということになるのだと思います。



そのうえでまずはじめに伝えなければならないのは、
これはまったくもって完全に自分の文章不足のせいですが、
この記事の論旨、自分がいちばん言いたかったのは

『上級者のためにコストをかけて環境を精緻に設計したTCGをつくれ』
ではなくて、

『TCGの中心部は初心者のために浅く広くつくり、
上級者には別の深度にやりこみ要素があればよい』

なのです。
それはつまり、

『(ヴァンガードのような)既存のライトTCGでも
盤外環境(メタゲーム)が深ければスパイクを引き取れる』

ということなのです。

新世界秩序とは、まさしくMiyuさんが指摘する
「多くの国産なりきりゲーム」のための話でもあるのです。
上級者のためにMtGやD-0やラスクロのようなディープなゲームをつくりなさいよ、
という話ではなくて、
国産のライトなごっこゲームでも盤外環境さえ深くデザインできれば
ヘビーゲーマーを獲得できるよ、という話なのです。

ライトなゲーム内容でヘビープレイヤーの獲得をいかに両立するか、
というのが新世界秩序の主題なのです。


(だからおそらく、自分とMiyuさんの国産TCGの現状認識は
 そこまで大きく違っていないのではないかと思います)



そのうえで自分は
『盤外環境の設計によってライトなごっこTCGもスパイク層を取りこんでいく』
と考えているのですが、
Miyuさんは『コストの問題からそうはならず、スパイク層は別の戦略TCGをやる』
と考えている、ということなのだと思います。


しかしMiyuさんがご自身でも触れているように
「ガチTCGは市場的に成立しにくい」のですよね。

ライトゲーに物足りないスパイクは別のガチTCGをやればいい、
ということにはなっているものの、
しかし国産の戦略TCGは先細りで枯渇しつつある。

Miyuさんのいうようなプロダクト単位でのユーザー分化だと、
安定してスパイクの受け皿となれる国産TCGが
ほとんどない(か消えつつある)状況なのですよね。

自分はこの問題を多少解決するのが新世界秩序だと思っているのです。
つまり同一プロダクト内で対戦と盤外環境のレイヤーを分化させることで、
ライトユーザーとスパイクの確保を両立するやりかた。


ここで問題となってくるのがMiyuさんのいう
盤外環境の設計(メタゲームデザイン)にかかるコストの問題なのですが、
自分は環境設計にそこまで莫大なコストはかからないと考えているのです。


記事ではアーキタイプやメタゲームにしか触れてなかったせいで
誰にも読みとりようがないのですが、自分は環境設計というのを
制限・禁止カードの指定やメタカードの発行なども含めて考えています。


つまり環境設計というのは、
個別カードの慎重な調整やアーキタイプの計算的配置のような、
事前のカードプールの入念な練り込みだけではなくて、
事後対応によってもあるていどコントロールしうるものであると。


たとえばD-0ではシーズン制限なんていうものがありましたが、
制度の成否はさておき、あれは比較的コストをかけることなく
環境を「くるくる回し」やすくするためのひとつの試みだったわけですね。

ほかにも遊戯王にはコンセプトデュエルなるものが採用されましたが、
これは禁止制限ではなく投入推奨カード、というかたちでの
環境コントロールの手法なわけですね。


これらの制度の完成度や実効性はさておき、
このように低コストで対戦環境をよりコントロールしやすくする手法は、
個別のカードデザインやゲームシステム設計に比べてまだまだ未開拓で、
これからいくらでも開発できるように思うのです。


だから今後のTCGでは、
初心者のために対戦はシンプルに洗練されていくかわりに、
このような環境調整の手法がさまざまなかたちで
より深く掘り下げられていくのではないか、とも考えているのです。

(こんなことは記事のどこにも書いていないので、
 完全に後出しジャンケンになってるわけですが……)



あと対戦ゼロのデジタルTCGは、
まあひとつの極端な例(=極北)として挙げたのですが、
従来のTCGがストリートファイター(対人戦術のゲーム)だとすれば
あれはスタークラフトとか信長の野望のようなものだと自分は思っています。

対戦格闘ゲームを一番ゲームらしいゲームだと万人が思っていないように、
TCGのもっとも面白い部分、ゲームらしい部分をなにとするかは
もうすこし自由なんじゃないかな~~と思ったりするのです。



長くなりましたが、コメントありがとうございました。
でゅえるひよっこ Miyu さん [2014/01/04 00:08]
まずは、blog読んで頂いていた様でありがとうございます。

D-0に活気があった頃は色々やっていましたが、今じゃただの楽隠居です(笑) そんな大した人間じゃないので、ただの人と思って頂ければ幸いです。

>>記事ではアーキタイプやメタゲームにしか触れてなかったせいで誰にも読みとりようがないのですが、自分は環境設計というのを制限・禁止カードの指定やメタカードの発行なども含めて考えています。

今、D-0で有志がやっている2nd-4th-5thセンチュリー限定構築(以下2-4-5構築)がそんな感じですね。

いわゆる公式の「スタンダード構築」である、3-4-5構築はそれなりに研究が進んで環境が固定化しているだろうと言う事で始めたっぽい(自分は非公式レギュレーションを立ち上げた人間ではないので、「っぽい」位しか分かりませんが)2-4-5構築ですが、それもまた暫くすると環境が固定化してしまうって事で、禁止・制限を変更する事で同じ2-4-5構築のカードプール内でも変化を持たせているのです。

後は、未だに出続けているプロモカードと再録カードが(これに関しても最近の環境を分かり切っている訳ではないので、完璧に理解している訳ではないのですが)環境に変化を持たせている様子です。これは多分、メタカードの発行って所に当たるのではないかと思います。

TCGの「ゲームらしい所」って言うのは難しいですね。デッキ作るのが一番面白いと言う人もいますし、プレイするのが一番面白いと言う人もいますしね。

「TCGの」もっとも面白い部分って言うと、自分はゲームそのものよりもそれを取り巻く社会的な環境とか、後はルールとかの方に行ってしまうので、ちょっと人とは違ってしまう感じです。ジャッジは面白いですね(笑)