カードゲームに限らず、思考を張り巡らす遊びというのは、何かしらの最善手が存在する。
強い人は、盤面上での最善手を常に1つ思い浮かべ、その最善手に対する相手の対応を2,3考え行動するのだと思う。
私は、この思考が下手で盤面上での最善手と相手の干渉を別に考えてしまう。
例えば、こちらの場に2/2、1/1、2/2で手札に除去。ライフは5。
相手の場に3/3と4/4でハンド2枚。ライフ3。
こんな時、真っ先に考えるのが見えてる情報から、盤面の最善手を考える。
相手の4/4除去って、攻撃すれば勝ち!!
これが、最善手で誰でも解る。
しかし、相手の手札を想像してみると、相手も除去を握ってたら返しのターンから盤面が止まってしまう。
追加のクリーチャーを出されたら目も当てられない。
(勿論、最初に思いついた除去打つというのも間違いでは無いですね。相手がブラフだったり、デッキ次第です最善手ですね。)
私の場合はこの「除去を持ってたら~」の次の思考が出来ないか、攻めきれると思って攻撃してしまう事が多い。
後から考えるとどうという事のない積み重ねが、最善手を遠のけているのだと考える。
この最善手と言えば、リセというカードゲームは、そいう選択を常に迫るゲームだった気がする。
現在は解らないが、相手の攻撃に対して、キャッチするか、効果を使うか、ハンドを消費して対抗策を被るか、通すか。
強い人は、その選択を常にギリギリで最悪手から回避していたし、選択を増やして盤面を有利にしていた様に感じる。
私は当時、カード名は失念したが「~魔法」が大っきらいだった、宙のカードで「捨札をデッキを戻して、次のターンに負ける」だったかな。
こちらが、強引にデッキを削ると使われて負ける。
私が弱かった事もあるけれど、それ1枚で負けるのが悔しくてたまらなかった。
だが、よく考えると、その1枚に負けてるのなら、デッキ自体に改良を加えるだとか、相手の盤面のダメージより死なない様に対応すればよかったので、厳密に言うと「カード1枚に負けた」ではなく「デッキを含めプレイングで負けた」といえる。
勿論、相性差やどうしようもない運もあるが、この頃急激に負け数を増やして行ったのは、カードプールの広がりに諦め、デッキに拘り有利な物を使い選択という行為自体を無視していた気がする。
強い人はやはり、デッキの水準も常にメタの上で有利なものや、トップメタに不利につかないデッキを持ち込んでいた。
ネット環境が進み、このメタ読みやゲームを始める以前の最善手、始めた以降の最善手も分かりやすくなっている気がする。
それでも、テストプレイは必要だし、周りに強いプレイヤーが居ると、練習の質やデッキの練習量や回す率も増えて、向上心が無くとも最善手への思考の速さに繋がるだろう。
向上心が強い人たちと居ると、自分も否応なく、ゲームにならないゲームをしないようにしなければならず、必然的に強くなる。
私はショッププレイヤー止まりだが、ネット環境が整い何処でもそういう向上心を持つ仲間に出会える環境になっているし、何処にでもそういう調整チームが出来ている感じがする。
寂しそうに一人でカードを弄ってるあいつや、大会でしか喋らないあいつ、初心者向けのセットを買ったあの人を誘ってチームを組み最善手を模索してみるのもいいだろう。
ただ、知らない人を強引に誘うのはいけないね、私もそれでとあるゲームを諦めたので、程々に熱く、クールにそして、相手を敬ってゲームをしましょう。
テーマ:日記 | 投稿日時:2011/08/01 16:45 | |
TCGカテゴリ: | ||
表示範囲:全体 | ||
前のブログへ | 2011年08月のブログ一覧へ ブログ一覧へ |
次のブログへ |