TCGの大きな問題として「過ぎ去った特定環境で遊ぶこと」の難しさがあると思う。
定期的にデュエルマスターズで遊びたいなー、と思うことがあるんだけども、
僕がここで言うデュエルマスターズとは「母なる大地」の生きてる頃のデュエマであり、
ようするに「母なる大地」が使いたいだけだったりする。
だけ、とは言ったものの、この「だけ」を満たすためのコストが異常に高い気がする。
当時のデッキを掘り出して、現役プレイヤー捕まえて対戦して満たされるかというと多分違う。
でも当時のカードプールで、当時の環境を再現するのは結構コストがかかる。
不可能ではないけども、それにしても後述の理由で当時の楽しさの再現は出来ない可能性が高い。
ここがデジタルゲームだと案外そうでもない。
昔のゲームでもそのまま遊ぶことが出来る。
ナンバリングタイトルがあったとして、例えばドラクエだとすると、
単純に1から10まで順番に上位互換な訳ではなくて、
これは多分TCGにも言えることだと思う。
新しいパックが発売されて変わった先の環境が、
変わる前の環境より良い物になっているという保証はない訳で。
ただデジタルゲームだと、エンカウント率の高さとか移動速度とか、
そういう細かいところでの利便性は概ね後発タイトルが優れてるけども。
ということを、
http://ch.nicovideo.jp/tu-suke/blomaga/ar76518
を読んで思ったりした。
追加されたカードは「追加されたカードを使えない」という制約を与えて、
結局は「当時の環境で遊ぶ」こと自体のコストを上げる。
もちろんカードを追加しないというのはそのTCGの終わりを表していて、
それはそれでありえない選択肢ではあるんだけども。
これに対してネオスタンは一定の解答を示していて、
やっぱりネオスタン形式は偉大な発明なのだなぁ、とか。
個人的に前から推している「終わることを前提としたTCG」は、
パッケージングされたゲーム性の提供、という面が大事で、
追加されることがない、ということが生み出すものもきっとあると思う。
この辺「chaosと混沌符」の関係はネオスタンより一歩進んでいるような。
更に一歩進めて「他のタイトルと混ぜれない完結した環境としてのタイトル」を、
既存TCGで出す流れとか来たら歓迎するのかもしれない。
そういう意味でVスパのサプライズは若干怖いと思っていて、
こういうシステムの追加は「それが無い」状態へ戻るコストを上げるような。
まぁ、こんな事思ってる人がそんな多くはないんだろうなー、という気はしてる。
基本的には変化すること自体を楽しんで、気に入らなくなったら捨てればいいんだし。
カードが追加されていく中で、変わりゆく環境やゲーム性自体の一部を切り取って、
切り取った一部自体に対してゲームとしての愛着を抱く、という考え方もあると思った。
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テーマ: | 投稿日時:2013/02/04 18:05 | |
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